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愛知県岡崎市の情報 愛知県岡崎市の概要
岡崎市旗
細川氏、仁木氏、鳥居氏、大久保氏、土井氏の発祥地と、徳川家康の生誕地として有名である。西三河地方を代表する都市。江戸時代から城下町、東海道の宿場町として栄えた。中心部は旧額田郡で、明治時代初期には額田県の県庁所在地であった。また、一部に旧碧海郡の地域もある。 教育施設や史跡が多く、市の規模に比して文教都市の色が濃い。また、伝統地場産業には八丁味噌、花火、石製品、額田の豆腐などがある。 岡崎市民は、「岡崎」の語を「おかざき」ではなく「おかざき」と平板に発音する(JRの駅の行き先放送では「おかざき」と発音されている)。岡崎が舞台となったNHK連続テレビ小説「純情きらり」の中でも、放映開始当初は「おかざき」と発音していたが、途中から「おかざき」の発音に改められた。 東部の山間には、野生の猿や鹿なども生息している。 岡崎という地名は、全国にあって紛らわしく、特に近畿では、平安神宮のある京都市左京区岡崎を指すことが多いので注意が必要。また、神奈川県と徳島県にも、岡崎城という城がある。 愛知県岡崎市の地理 隣接する自治体
気候例年、年平均気温は17.0℃、最高気温は36℃、最低気温は-1℃、年間総降水量は1200mmほどである。 岡崎市の気象観測極値
気象庁の設置しているアメダスにより観測された数値である。 人口
愛知県岡崎市の歴史 矢作川や乙川流域の肥大な平野部に位置する岡崎市には、古くから人々が生活しており、市内の真宮遺跡からは土器片や遺構、土器棺などが多く発掘され国の史跡にも指定されている。 戦国時代になると松平氏が力を蓄え、1524年(大永4年)、松平宗家の七代松平清康が、岡崎松平家を攻略し、安城岡崎を兼領する。そして1531年(享禄4年)に、龍頭山の砦を整備・拡張し、岡崎城(別名、竜城、竜ヶ城)とした。清康の死後、松平氏が今川氏の庇護下に入ると、市域は今川と織田の抗争の前線となり(小豆坂の戦い)、多くの城が作られた。桶狭間の戦い後、松平元康は岡崎城で独立し徳川家康と改名、以後織田信長の盟友として勢力を拡大していくこととなる。1590年、家康が関東に移封となると、豊臣家臣・田中吉政が岡崎城に入る。吉政は城を拡張し、石垣や城壁などを用いた近世城郭にふさわしいものに整備した。また、城下町の整備も積極的に行い、岡崎の郊外を通っていた東海道を岡崎城下町の中心を通るように変更し、現在の岡崎城の原型を造った。 江戸時代に入ると、岡崎藩が立藩され、徳川家康誕生の地として別格の扱いを受けるようになった。東海道沿線に岡崎宿、藤川宿の2宿が置かれ、宿場町として栄えた。また、「五万石でも岡崎様は、お城下まで舟が着く」と謡われているように、矢作川と乙川の合流地点にある岡崎は水運の要衝であった。矢作川には当時としては日本最長の矢作橋が架けられた。初代藩主の本多康重は、東海道の整備、城下町の建設などに尽力し、「岡崎の27曲がり」といわれるクランク状の道が整備された。江戸中期には、矢作川沿いの農村で綿作が盛んに行なわれるようになり、三河木綿が生産されるようになった。 明治になり、廃藩置県により岡崎藩が岡崎県となると、岡崎県、ついで額田県の県庁が置かれた。 水車動力のガラ紡、官営愛知紡績所が操業し、国鉄東海道本線、名鉄岡崎市内線、挙母線、名古屋本線が開通し、岡崎の近代化を一層促進した。1916年には市制を施行し、岡崎市が誕生する。 昭和期、太平洋戦争では、岡崎海軍航空隊がおかれ、中心部は空襲を受けた。市内を走る路面電車の車庫が燃えてしまったため、急遽京都から車両を調達したこともあった。また、資材供出のために、西尾線は休止されてしまった。 戦後、モータリゼーションの流れに押され名鉄岡崎市内線、挙母線が廃線となるが、その後国鉄岡多線が開通し、トヨタ自動車の自動車輸送やユニチカ岡崎工場向けの原料輸送が行われた。 1970年に三菱自動車工業が北野町に開発センターと工場が設置されるなど、岡崎市にも工業化の波が押し寄せてきた。しかし、隣の豊田市がトヨタ自動車の地元であることや、その関連企業が周囲に多いこともあり、近年は新興住宅地を次々と造成しベッドタウンとなりつつもある。
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