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青森県十和田市の情報 青森県十和田市の概要
十和田市(とわだし)は、青森県東南、南部地方の内陸部に位置する市である。 青森県十和田市の地理 地形 市の北西部は八甲田山の山麓である。青森市との境には、乗鞍岳などの南八甲田連峰がそびえ、青森市側の田代平から続く牧場が広がっている。谷地・猿倉・蔦・焼山といった温泉が点在する。市の南西部も山地であり、主なものはカルデラ湖である十和田湖、その外輪山である御鼻部山や十和田山である。十和田湖からの水に八甲田山麓などからの水を合わせ奥入瀬川が形成されており、特に湖岸の子ノ口から焼山までは奥入瀬渓流として有名である。 市の中部から東部、さらに隣の六戸町へと平坦な三本木原が広がる。三本木原は、奥入瀬川が流した土砂や八甲田山からの火山灰が積もって作られた洪積平野である。奥入瀬川は三本木原の南縁をさらに削って東へ流れており、三本木原へ上水するために新渡戸傳が開いたのが、人口河川である稲生川である。市の北東部には、砂土路川が北東に流れている。市の南東部は東西へ伸びる丘陵地であり、丘と丘との谷間を後藤川などが流れる。
気象ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候に属し、冷涼である。気象庁によると、1979~2000年の平均値で、年平均気温9.4℃、最も寒い1月が-2.0℃、最も暑い8月が21.8℃である。北海道ほど寒くはないが、稲作が容易でない気温でもある。 降雨は、夏に多く冬に少ない。気象庁によると、1979~2000年の平均値で、年降水量961.3mm、降水量の最も少ない1月が28.5mm、最も多い9月が164.3mmである。 八甲田山の東に位置するため、雪はやや少ない。それでも2月には50cm程度の積雪になる。八甲田山から吹きつける寒冷な北西風は、八甲田おろしと呼ばれる。5月・6月には晴天が続くが、土ぼこり混じりの強風が西から吹くことがある。新渡戸傳が開拓にあたり防風林を設けたのも、西からの強風を防ぐためという。また、数年から十数年に一度は、7月・8月に偏東風(やませ)がゆるゆると流れる年がある。そういう年は、蒸し暑く感じる日もカッと晴れる日も稀で、薄暗い曇り空の日々が続き、しとしとと雨の降る日が偶にあり、米の収穫量はめっきり減る。11月には霜が降り、12月には雪が降る。 居住人口7万人弱の半数以上は都市部(三本木地区)に住む。都市部は、三本木原に東西2km程南北2km程の大きさで展開している。都市部の南北を旧国道4号が、東西を国道102号が貫いている。その他の人口は、奥入瀬川の川沿いや三本木原に点在する集落に住む。 隣接している自治体
青森県十和田市の歴史 もともと十和田市のあたりは三本木原と呼ばれる荒蕪の台地で、台地周辺に寒村が点在していた。安政2年(1855年)の時に新渡戸稲造の祖父の新渡戸傅(にとべつとう)を中心に奥入瀬川から水を引く計画に着手し、安政6年(1859年)稲生川(いなおいがわ)として完成して開拓の基礎ができた。明治18年に陸軍が軍馬局出張所を設置(明治29年に軍馬補充部三本木支部と改称)したことから、馬産が栄えた。同市の農事試験場(藤坂試験場)で開発され、昭和24年から普及段階に移された稲の品種「藤坂5号」は非常に冷害に強く、やませが吹いて夏が冷涼なこの地域で急速に広まり、現在のような穀倉地帯になった。現在「藤坂5号」そのものは多く栽培されてはいないが、その遺伝子は多くの稲の品種に組み込まれている。
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