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愛媛県新居浜市の情報 愛媛県新居浜市の概要 別子銅山で発展した鉱工業都市で、住友グループの企業城下町として有名である。(他に、同様に鉱山町から企業城下町となった都市には、日立市がある。) このほか新居浜市を代表するものとして、絢爛豪華な太鼓台で知られる新居浜太鼓祭りが有名である。 愛媛県新居浜市の地理 位置 四国のほぼ中北部に位置し、東は四国中央市、西は西条市と接する。北は瀬戸内海の燧灘(ひうちなだ)に面し、南は四国山地を境として高知県境に設置している。 隣接している市町村
地形北は瀬戸内海の最奥の燧灘に面する。市域の北半分には新居浜平野が広がり、市街地が形成されている。平野部は、東西から百数十メートルの丘陵地である郷山、金子山が突き出すように広がっているため、市街地は「工」の字型に形成されている。この地形ゆえに周辺都市から独立したような格好になっている。新居浜平野の南縁では中央構造線に沿うように千数百メートル級の急峻な四国山地がそびえる。市域の南半分はこのような山地がほとんどであり、小規模な集落が点在する。 市街地は東西の丘陵地を結ぶ線で分かれ、南側を上部、北側を下部と呼ぶ。予讃線から南が上部とされる。下部では更に中心を流れる国領川で二つに分断され、東側が川東、西側が川西と呼ばれる。 上部のさらに南方には別子山地区が位置する。山深くに位置するこの地区は、市街地からは約30km離れている。冠山を源とし、旧別子銅山を流れていた銅山川が、法皇山脈の合間を東進する。なお、この別子山地区は独立した村「別子山村」であったが、2003年に新居浜市に編入合併された。 かつては沖合いに島が点在していたが埋立等により地続きとなり、東北部沖にある新居大島が現存する唯一の離島である。
人口年齢構成
1937年の市制施行当時の人口は32,254人であった[1]。その後、別子銅山の繁栄や、近隣町村の編入などにより人口は増加を続け、1981年には過去最高の135,396人を記録する[1]。それ以降は微減傾向が続き、2002年以降は自然減が恒常化するようになった[2]。 長年、県内においては、松山市に次ぐ第2の都市、四国では、第5の都市の座を維持してきた。しかしながら、平成の大合併による地域再編で、2005年に今治市にその座を奪われ、県内第3位、四国第6位の都市となった。また、近隣に10万人規模の都市が2都市出現したために、東予地区での人口優位性は低下した。 中核の無い街
口屋跡
戦国時代末期までは、東予東部一体を実質支配していた金子氏の居城金子城付近が中心地であった。当時を偲ばせるものとして金子山の麓に御茶屋谷という地名が残されている。 近世から昭和初期までは、住友グループを中心とし繁栄した口屋(くちや)が名実共に中心であった。1702年、別子銅山開坑の約10年後に住友が新居浜浦に口屋を開設した。以降昭和初期頃まで人や物流の中心であるこの口屋を核に新居浜は発展し、今も「新居浜発祥の地」として知られている。1890年に、口屋の機能が惣開町に移り、徐々に口屋の跡地の中心性が薄れ、昭和初期ごろからは市の中心が必ずしも口屋跡とは言い難くなった。現在、新居浜市西町の口屋跡には、公民館と由来の記念石碑があり、かつての賑わいの面影だけが残っている。 しかし、近世以降の新居浜市は口屋の繁栄期を除けば確たる中心地のないまま地区毎に発展した。別子銅山の発展と住友グループの事業拡大などで拠点が北(海側)に移動したことで、城下町の城郭のような中核がないまま発展したからである。また、昭和期に周辺町村と合併を繰り返し市域の拡大を続けてきたことも市の都市構造に影響している。そのため、市街地は旧町村の中心に由来する数箇所を拠点に浅く広く拡大しており、人口集中地区(DID)は29.1km2(可住地面積に占める割合・約46%)にもなる[3]。 また、現在まで工業都市として発展を続けてきたため、市内には城郭などのランドマーク的な施設がない。新居浜駅も市街からやや離れており、中心性に欠けると指摘され続けてきたため、土地区画整理が行われている。強いて言えば、県道11号線と 県道13号線が交わる裁判所前交差点周辺に、市役所、文化施設、税務署等の官公署、新居浜郵便局、金融機関などのサービス施設も比較的集積していることからが実質的な中心地となっている。また、昭和通り、登道を中心とする中心商店街地区においては、中小商店ほか銀行支店の集積がみられる。 市は中心市街地活性化基本計画や都市計画マスタープラン基本計画などにおいて新居浜駅周辺・市役所周辺・昭和通り商店街・リーガロイヤルホテル新居浜周辺の4地域を拠点と捉えており[4]。 近年これら4地域に囲まれている金子校区・金栄校区などでは住宅・商業施設の建設が相次いでいる。このため市周辺地域からの流入による一極集中化が進みつつある[要出典]。 だだし、その分散した街ではあるが交通機関は充実しておらず、機能的には繋がっていない。移動は専ら自家用車・スクーター・自転車に頼るところが大きい。
近隣市町村との比較東から四国中央市、新居浜市、西条市が連続しており、相互の関係が都市中心性にも影響している。 工業地帯は昭和中期以降に周辺都市と実質的に連続するようになった。これは大都市などの工場集積地から地方に工場の移転を促進する国の政策によるものであるが、既に工場が集積していた新居浜市は対象地から除外されていた。そのため新居浜市の工業都市としての拠点性は薄れた。隣接する西条市とは工場群が市境を跨いで繋がっており、また産業も似ているために一体化して四国最大の工業地帯をなしている。商業でも両市民の交流が盛んであり、地域圏としても一体化が進んでいる。 工業都市の新居浜市に対し、西条市には藩政時代の名残で県の行政機関が多く設置されている。これには、工業都市で、労組の力の強い新居浜市を嫌ったとの見方も根強くある。また、新居浜市は住友の色が強く、住友以外のグループ企業が進出し難いとの見方もある。実際、三菱電機西条工場(現 ルネサス テクノロジ西条事業所)が西条市に、日新製鋼等が旧東予市(現 西条市)に立地している。 また、東隣の四国中央市との交流も深く、実質的に通勤等の人の相互の流れがある。 地域圏新居浜市は、西条市、四国中央市の間に位置し、これら東西の都市の橋渡し的な役割を担っている。新居浜市を中心とした東予地方は一つの地域圏を構成しており、行政も大型化を視野に入れた取り組みをしている。 新居浜市を初めとする東予地方は、その地理的な重要性から四国全体の拠点としての役割を発揮すべきだとの主張も多い。将来的には、広範囲の都市圏全体が大規模合併で一つの「市」となり、道州制を導入した暁の四国道の道庁所在地・州都にしようとする構想が議論されている。仮に東予の全市町が合併した場合は52万人程度の都市となる。 尚、新居浜市は、これまで住友の影響を強く受けた都市であったことから、他人依存の強さや消極的といった市民気質が指摘されることもあり、四国中央市ほどの熱気は見られない。
地名の由来
気候瀬戸内海式気候で、年間を通じて温暖・少雨である。夏は、三方を山に囲まれ盆地に似た地形であるためか気温が高く、時間帯によっては全国で一番暑いこともしばしばある。冬には、南部の山に積雪を見られる。平地での積雪は、数年に一度程度である。四国地方は頻繁に水不足に悩まされているが、本市では上水道を全て地下水で賄っているため、そういった状況にない。ただし近年は水道使用量の増加や工業用の取水の増加等により、地下水位の低下が深刻となっている。 地震も含めて比較的災害が少ない地といわれていたが、2004年の新居浜豪雨で床上浸水や山崩れ等の災害が発生した。 愛媛県新居浜市の歴史
参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
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