愛媛県伊予市の情報
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愛媛県伊予市の概要
伊予市
いよし
| 国 |
日本 |
| 地方 |
四国地方
中国・四国地方 |
| 都道府県 |
愛媛県 |
| 団体コード |
38210-8 |
| 面積 |
194.47km²
|
| 総人口 |
38,649人
(推計人口、2008年12月1日) |
| 人口密度 |
199人/km² |
| 隣接自治体 |
大洲市
喜多郡内子町
伊予郡(松前町、砥部町) |
| 市の木 |
メタセコイア |
| 市の花 |
菜の花 |
| 市の鳥 |
なし |
| 伊予市役所 |
| 所在地 |
〒799-3193 |
愛媛県 |
| 伊予市米湊820番地
|
| 電話番号 |
089-982-1111 |
| 外部リンク |
伊予市 |
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■:市 / ■:町
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| ■テンプレート(■ノート・■解説・■ウィキプロジェクト) |
伊予市(いよし)は、愛媛県の中予地方に位置する市。 中予地方の最西に位置し、以西は南予地方となる。
2005年(平成17年)4月1日、道後平野に位置する旧伊予市を中心に、山間部の伊予郡中山町、瀬戸内海に面した同郡双海町と合併(新設合併)し、新たに伊予市となった。
旧市町役場を中心に平野部と山間部に分かれており、公平な行政サービスの提供が今後の課題とされている。
複数の削り節工場が立地し、国内に出荷される6割のシェアを占めている。また、五色浜をはじめとした海水浴場や、ゆうやけこやけラインなど、美しい瀬戸内海が本市の観光資源として支えている面も大きい。
愛媛県伊予市の地理
地名の由来
市名について
(旧)市名は「伊豫市」であるが、一般には旧字体の「伊豫市」・新字体の「伊予市」共に通用していた。1992年には部長通達で、正式文書以外では「伊予市」表記にするものとし、2004年に正式表記も「伊予市」となった。更に今回の合併でも「伊予市」が正式市名になった。
人口
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| 伊予市と全国の年齢別人口分布図(比較) |
伊予市の年齢・男女別人口分布図 |
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■紫色は伊予市
■緑色は日本全国
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■青色は男性
■赤色は女性
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| 1980年 |
42,842人 |
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| 1985年 |
42,306人 |
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| 1990年 |
41,516人 |
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| 1995年 |
41,064人 |
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| 2000年 |
40,505人 |
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| 2005年 |
39,493人 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) |
愛媛県伊予市の歴史
- 古代・中世
- 弥生時代 弥生式の土器が出土していることから、このころ人が住み着き生活していたと考えられる。
- 6世紀 山のふもとで農業が営まれ、伊予岡古墳などがつくられたと推定される。
- 藩政期
- 1634年(寛永10年) 松山藩の蒲生氏が急死、跡継ぎなく絶家。大洲藩主・加藤氏のお城預かりとなる。
- 1635年(寛永11年) 松山藩領に編入された風早郡、桑村郡の御替地として伊予郡、浮穴郡を大洲藩領に編入。
- 大洲藩主・加藤氏の願いにより、松山藩の伊豫・浮穴郡の37か村と、大洲藩領地の桑村、風早郡の57か村が対象となった。このため郡中地方は御替地と呼ばれるようになった。
- 1635年(寛永11年) この頃、郡中の灘町で商人が事業を営み始める。
- 1636年(寛永12年) 宮内九右衛門、清兵衛兄弟、御替地入殖。旧郡中を中心とする地域の開発に着手する。
- 1774年(安永2年) 本郡に塩田ができる。
- 1812年(文化8年) 岡文四郎、郡中港を作る。万安港(ばんあんこう)という。
- 1817年(文化13年) 大洲藩の布達により御替地から郡中に改称。
- 喜多地方(後の喜多郡)が郡内と呼ばれていたのにならって「郡中」としたものであろうといわれる。
- 1855年(安政2年) 唐川において 砥石発見される。
- 近代(伊予市発足まで)
- 1871年(明治4年) 廃藩置県により、大洲、新谷県となる。後に宇和島県となる。
- 1872年(明治5年) 宇和島県が神山県と改称。
- 1872年(明治5年) 学制施行。各地に小学校ができる。
- 1878年(明治11年) 役所ができ、各村に戸長役場をおく。
- 1889年(明治22年) 町村制施行。郡中町、郡中村、南山崎村、北山崎村、南伊豫村ができる
- 郡中町 1889年(明治22年)に、郡中灘町の一部、郡中湊町を合併して発足。
- 郡中村 1889年(明治22年)に、郡中灘町の一部、米湊町、上吾川村、下吾川村、南黒田村の一部が合併。
- 北山崎村 1281年(弘安4年)、河野通有が元寇の功により山崎の荘を賜り、1635年(寛永11年)大洲藩に属す。1889年(明治22年)の町村制実施に際して、三秋村、中村、市場村、森村、本郡村、尾崎村、三島村、稲荷村を合併し北山崎村となった。
- 南山崎村 1889年(明治22年)に、大平村、鵜崎村、両澤村、上唐川村、下唐川村が合併して南山崎村となる。
- 南伊豫村 1885年(明治18年)に上野村、上三谷村、宮下村、八倉村を合併し発足。1889年(明治22年)に下三谷(しもみたに)村を合わせて南伊豫村となる。
- 1896年(明治29年) 松山と郡中との間を汽車が走り始める(南予鉄道→伊予鉄道)。
- 1905年(明治38年) 郡中と中山(後の伊予郡中山町)とをつなぐ道ができて乗合馬車が走り始める。
- 1909年(明治42年) 郡中に電灯がともる。
- 1911年(明治44年) 郡中に公衆電話が通じる。
- 1917年(大正6年) 郡中で花かつおの製造始まる。
- 1929年(昭和4年) 各地にバスが通じる。
- 1930年(昭和5年) 国鉄予讃線が郡中へ延伸、郡中駅ができる(現在の伊予市駅)。
- 1937年(昭和12年) 伊予鉄道の汽車が郡中港駅へ延びる。
- 1940年(昭和15年) 郡中村と郡中町とが合併して郡中町となる。
- 1945年(昭和20年) 大谷池が完成。
- 1950年(昭和25年)伊予鉄道郡中線が電化、坊っちゃん列車姿を消す。
- 伊予市の発足
- 1955年(昭和30年)1月1日 伊豫郡郡中町、北山崎村、南伊豫村、南山崎村が合併(昭和の大合併)し、市制施行し、伊豫市となる。
- 1957年(昭和32年) 市庁舎落成。
- 1958年(昭和33年) 伊豫郡中山町平岡地区の一部を編入。
- 1961年(昭和36年) 国鉄 伊予横田駅設置。
- 1961年(昭和36年) 集団赤痢発生。
- 1962年(昭和37年) 港南中学校落成。
- 1969年(昭和44年) 寿東産業立地。
- 1973年(昭和48年) タケチ工業ゴム工場立地。
- 1981年(昭和56年) 愛媛厚生年金休暇センター開業。
- 1984年(昭和59年) えひめ森林公園開園。
- 1986年(昭和61年) 国鉄予讃本線最短化(内山線向井原駅~内子駅間の開業)。
- 1986年(昭和61年) 国鉄鳥ノ木駅設置。
- 1988年(昭和63年) 下三谷工業団地造成完了。
- 1989年(平成元年) 五色姫復活祭開始。
- 1990年(平成2年) JR予讃線電化される(伊予市駅以東)
- 1990年(平成2年) 愛媛県中予水産試験場落成。
- 1991年(平成3年) 台風19号の被害多数。
- 1993年(平成5年) 全国豊かな海づくり大会開催(愛媛県中予水産試験場ほか)
- 1994年(平成6年) 異常渇水により113日間給水制限。
- 1995年(平成7年) 高速船スピーダー就航(伊予港~大分港)
- 2005年(平成17年)4月1日 伊予郡中山町、双海町と合併(新設合併)し、新たに伊予市となる。
(資料)伊予市(旧市)市勢要覧ほか
参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/