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福岡県北九州市の情報 福岡県北九州市の概要
北九州市(きたきゅうしゅうし)は、福岡県にある市の一つ。関門海峡に面し、九州島内最北端に位置する。 1963年に門司市・小倉市・戸畑市・八幡市・若松市の5市による新設合併により誕生し、三大都市圏以外では初の政令指定都市となった。本市を中心とする北九州都市圏は、北九州工業地帯の範囲とほぼ重なる。 福岡県北九州市フ市齬需
福岡県北九州市の地理 位置・地形
関門海峡の衛星写真。左側が北九州市、右側が下関市。
九州の北東端に位置し、関門海峡を挟んで本州の下関市と対峙する。市の北側は日本海(響灘)に面し、東側は瀬戸内海(周防灘)に面する。 市域の南側には山地が多く、山間部一帯は北九州国定公園に指定される。カルスト台地で有名な平尾台や、「100億ドルの夜景」で知られ新日本三大夜景に選定された皿倉山などがある。 福岡県にある市町村の中で最も面積が広いが、上記の通り山地が多いため、住宅や工場など生活地域は沿岸部に集中している。
気候北九州市は気候区分の要所であり、関門海峡・玄界灘側は日本海側気候(山陰地方と同じ)、周防灘側は瀬戸内海式気候(山陽地方と同じ)。関門海峡から霧が発生しやすく、日照時間が極端に短いなど、日本海型と瀬戸内海型が折衷している。 冬場は日本海(響灘)からの季節風の影響で、曇りの日が多く、雨や雪の降る日もある。関門海峡・響灘沿岸部では積雪はまれだが、小倉南区・八幡西区・八幡東区の内陸部、山間部では積雪する事もある。 夏場の梅雨明け後は、30度以上の真夏日になる日が多いが、海に囲まれているため、35度を超えるような極端な猛暑になることは少ない。 隣接している自治体
人口
福岡県北九州市の歴史
小倉城、小倉北区
小倉県庁、小倉北区
令制国においては、現在の門司区、小倉北区、小倉南区の全域と、八幡東区の東半分は豊前国(企救郡)に属し、八幡東区の西半分と、八幡西区、若松区、戸畑区の全域は筑前国(遠賀郡、鞍手郡)に属しており、別の国であった。大化元年(645年)には今の和布刈神社付近に「文字ガ関」が置かれたといい、門司の地名由来となっている。古代に九州地方を統括していた大宰府への第一の関所の位置付けである。 1871年8月29日の廃藩置県により、豊前国は小倉県に、筑前国は福岡県となった。しかし、1876年8月21日の府県合併により、小倉県は分割されて大半の地域が福岡県と合併した。それ以降、現在の市域全体は福岡県に属するようになる。 この豊前国と筑前国とも、山口市に拠点を置く西日本最大の大名であった大内氏の時代には、この大内氏により守護されており、文化圏の枠組みでは、九州よりも本州や瀬戸内海岸の文化に影響が強い。また、この界隈の基礎となった官営八幡製鉄所の建設には、明治の長州閥が深く関わっており、歴史的にも豊前と長州の2地域は密接である。 1889年の市町村制施行により、それぞれが町制を敷き、大正時代に門司市、小倉市、戸畑市、若松市、八幡市(現在の八幡東区全域と八幡西区黒崎地区のみ。八幡西区の残りの地域は昭和12、19、30年に合併)が完成した。当時より五市(場合によっては下関市、中間市を含めた七市)の合併が提起されていたが、1963年2月10日にこの5市が合併(新設合併)し、4月1日に政令指定都市となった。新市名については、合併後の新市名を住民公募した結果、1位は「西京市」だったが、京の名を含んだ名称には異論もあり[1]、2位の「北九州市」が採用された。 ちなみに「北九州」という名称は、この地域を運行していた西鉄路面電車(2000年11月全線廃止)の路線の総称として北九州線が、西鉄設立の1942年(昭和17年)から用いられていた。また市内にある北九州市立大学の前身である北九州外語大学(当時、1953年から2000年までは「北九州大学」)が1950年以来「北九州」を冠していた他に、1923年(大正12年)から国定教科書において八幡市、戸畑市の工業地帯を「北九州工業地帯」と表記されていた。いずれも北九州市成立以前から、この地域を表す名称として使われていたものとしてあげられる。 北九州市は、昔から交通の要衝でもあり、重化学工業で栄えた都市である。古くから筑豊地方、京築地域、遠賀地方、福岡市周辺はもとより、県外の山口県(下関・宇部・山陽小野田)、大分県(中津・宇佐)などの地域との関係は歴史的・文化的に密接である。特に山口県とは歴史的に非常に強い関係があり、文化面・経済面での影響を強く受けている。市内で使われる北九州弁も周辺地域の影響を濃く受けているが、先述の通り歴史上別の国であったことも影響し、市内でも西部と東部で方言に差異が見られる。 また、響灘に面していることもあり、今の市域全体が古くから軍事の要衝ともなっていた。関門海峡では1185年に壇ノ浦の戦いがあり、明治期には下関地域ともども「関門要塞」として指定され、主だった山や小倉城址、今の若松区の海岸地帯などは一般人の出入りが禁止・制限された。さらに小倉には陸軍の造兵廠が置かれ、1945年にはここが長崎に投下されたプルトニウム型原子爆弾の最初の投下目標となった。文豪・森鴎外が小倉に住んでいたのも陸軍の軍医としてであった。第二次世界大戦後はそれらの施設や民間の建物などがアメリカ軍に接収され、今のNHK北九州放送局も米軍向け放送を一時行っていた。現在でも市内の一部には軍事都市の名残をとどめる史跡が存在する。
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