|
福島県白河市の情報 福島県白河市の概要
白河市(しらかわし)は、東北地方の南部、福島県中通りの南部に位置する都市。 福島県白河市の地理 隣接している自治体
南側より見る白河市街地 (2007年(平成19年)1月撮影)
解説付き画像はこちら
北側より見る白河市街地 手前から阿武隈川、東北自動車道、東北新幹線、奥に南湖を望む(2006年(平成18年)6月撮影)
人口
福島県白河市の歴史 古くから奥州の玄関口として知られ、平安時代には能因法師が「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」と詠んでいる。能因法師は実際には白河には来なかったとも言われるが、逆にいえば、架空の旅を構想するほど「白河の関」は歌枕として魅力的であったということだろう。能因法師以外にも「白河の関」を詠んだ歌は数多く、後年、松尾芭蕉はおくのほそ道の中でそれらの歌や散文をもとにして、白河到着時の情景を装飾的な美文にこしらえている。(「おくのほそ道」では、有名な書き出しの部分にも「春立てる霞の空に白河の関越えんと…」とある。)
古代には白河の関が置かれ広くその名は知られていたが、早くにその事蹟は失われ、詳細はいまだなぞである。芭蕉が訪れた江戸初期には、どこにあったのかもはっきりしなかった。後年、松平定信が候補地を比定して、現在公園として整備されている辺りを関跡としたが、有力な仮説の域を出ていない。 中世期には、小山氏の流れをくむ結城家の所領となった。長く二つの結城家が比較的平和裏に所領を分割統治していたとされ、両家の居城が、今も白川城(搦目城)、白河城(小峰城。現在の原型を築いたのは江戸初期の丹羽氏)として市内に残っている。戦国後期には、会津の諸氏(蒲生氏上杉氏などの傘下に入る。 江戸時代最初期には、外様の丹羽氏によって城下町が整備された。それ以降は、譜代中藩(一時期親藩)で老中を輩出した白河藩の城下町として栄えた。ただし、譜代のサラリーマン大名が藩主としてめまぐるしく交替したこともあり、市民の歴史意識はさほど高くない。唯一市民に広く知られているのは、日本初の公園といわれる南湖公園を整備し、寛政期に老中として有名な松平定信ぐらいのものである。
参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ▲ページのトップへ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||