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福島県耶麻郡磐梯町の情報 福島県耶麻郡磐梯町の概要
磐梯町(ばんだいまち)は、福島県耶麻郡(やまぐん)にある町である。 福島県耶麻郡磐梯町の地理 福島県耶麻郡磐梯町の歴史 磐梯町は古くから磐梯山にまつわる山岳信仰の地であったらしい。807年(大同2年)、法相宗の僧徳一がこの地に下り、慧日寺を開基する。徳一は東大寺と興福寺に学び、空海や最澄とも論争した高僧であったのだが、都の暮らしを嫌ったとも、民衆への布教を志したとも言われる。 慧日寺は平安時代の末期には寺僧300、僧兵3,000、寺領18万石という大寺院に発展し、会津一円を支配していた。治承・寿永の乱では平氏方に味方するが、1181年(養和元年)、僧兵の頭である淨丹坊の率いる僧兵3,000は、城助職と共に横田河原の戦いで木曾義仲と戦って敗れる。以後会津地方の支配権は蘆名氏など鎌倉系の武士団の手に移り、慧日寺は衰退していく。1589年(天正17年)には蘆名義広と伊達政宗が戦った摺上原の戦いの兵火を受け、堂塔伽藍のほとんどが焼失した。 江戸時代には会津藩領となる。明治維新を経て、1889年(明治22年)、磐梯村、更科村、大谷村、赤枝村が合併して磐梯村となり、現在の町域となる。 1914年(大正3年)、日橋川の急流を活用した猪苗代水力発電所が完成し、翌年から東京まで228Kmの長距離送電を開始する。この発電所は当時世界第3位の規模を誇っていた。またこの電力を利用して1916年(大正5年)に高田商会の大寺製錬所が開業し、亜鉛、カドミウムの精錬などの事業を行う。高田商会は昭和恐慌の際に破綻し、精錬所は日本曹達(日曹)が経営権を取得した。太平洋戦争中には、これらの産業施設を空襲から守るため、町内に高射砲陣地が設置されていた。 1960年(昭和35年)、磐梯村から磐梯町となるが、発電所の無人化や日本曹達の合理化により、ピーク時には1万人を超えた人口も減少してゆく。1970年(昭和45年)には日曹金属会津工場が排出していた煤煙に起因するカドミウム公害問題が発生した。 1987年、総合保養地域整備法(リゾート法)が制定され、翌年、第1回の認定地域となる。折からのバブル景気の波に乗って磐梯リゾート開発株式会社が設立され、アルツ磐梯スキー場やゴルフ場、ホテルなどの大規模開発が行われたが、バブル崩壊とともに不況に陥り、同社は2002年に民事再生法の適用を申請した。このとき住友信託銀行の貸付金795億円が不良債権となっている。 参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
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