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北海道の情報

エリアHOME北海道


北海道の概要

北海道
ほっかいどう
地方 北海道地方
団体コード 01000-6
ISO 3166-2 JP-01
面積 83,456.64km²
総人口 5,543,556人
(住民基本台帳人口、2009年3月31日)
人口密度 66.4人/km²
隣接都道府県 青森県
道の木 エゾマツ、アカエゾマツ
道の花 ハマナス
道の鳥 タンチョウ
北海道の歌 北海道民のうた
道民体操(どさんこ体操)
知事 高橋はるみ
北海道庁
所在地 〒060-8588  北海道
札幌市中央区北3条西6丁目1番地
電話番号 011-231-4111(大代表)

北海道の地理


北海道の歴史


「アイヌの歴史」も参照

先史時代

北海道には数万年前の氷河期にシベリアから人類が渡り、温暖となってからは本州からも渡来したようで、旧石器時代を経て、土器を中心とした縄文文化が興った(縄文時代)。

その縄文時代後期の「周溝墓」と推定できる環状土籬が見つかっている。千歳市郊外に周堤の外径が74 mもあるキウス遺跡や知床半島の付け根部にある斜里町でも朱円遺跡など環状土籬が発見されている。

本州以南は多数の渡来人(帰化人)が移住することで弥生時代を迎えたが、北海道にまでは弥生文化が伝播せず、縄文文化が続いた(弥生・古墳時代に相当する続縄文時代は、紀元前2世紀から7世紀まで続いた)。この文化は、北はサハリン南端部、東は国後島・択捉島、南は東北地方から新潟県西部にまで及んでいる。

つづいて、土師器の影響を受けて縄文がなくなり、木片の刷毛で擦ったような文様の擦文式土器を特徴とする擦文時代となって、これが12世紀ごろまで続いた。この文化は和人(本州以南の日本人)との交易によって、12世紀ごろには鉄器を持ち、狩猟のほかに農業、漁労を営むアイヌ文化に成熟した。

オホーツク海沿岸には、アイヌによって擦文時代が営まれていた頃、海獣狩猟を中心とするオホーツク文化を持った人々が移住したが、アイヌ文化が成熟した頃に忽然と姿を消した。アイヌと完全に同化したか、アイヌに追われたものと考えられる。この古代文化は、3世紀から13世紀にサハリン、北海道のオホーツク海沿岸、千島列島に展開された。このうち、北海道に分布するこの文化の遺跡の年代は5世紀から9世紀までと推測されている。

和人進出

古くは『日本書紀』に渡島(わたりしま)として登場し、阿倍比羅夫と接触を持ち、奈良時代、平安時代には出羽国と交易を行なった。当時の住民は、東北地方北部の住民と同じく蝦夷(えみし)と呼ばれていた。恐らく両者は同一民族で、北海道側の蝦夷が後の蝦夷(えぞ)、現在のアイヌの先祖だと考えられている。

中世以降、北海道の住民は蝦夷(えぞ)と呼ばれ、北海道の地は蝦夷が島、蝦夷地(えぞち)等様々に呼ばれた。古代の蝦夷(えみし)は農耕も生活の柱としていたが、次第に狩猟・漁業に特化し、米や鉄等を日本人(和人)との交易で得るようになっていった。

また鎌倉時代以降になると、後の松前藩や和人地の基礎となった渡党の活動が見られるようになる。

松前藩

室町時代には渡島半島の南端に和人が道南十二館を築き居住地(和人地)を設けた。戦乱を避けて移住する者が増えると、現地のアイヌとの間に対立が起きた。その結果、1457年(長禄元年)に起きたコシャマインの戦いで、武田信広がアイヌの指導者コシャマインを殺し、和人の勝利を決した。信広は蠣崎氏を継ぎ、その子孫は後に松前の氏を名乗り、代々蝦夷地の南部に支配権を築いた(松前藩)。

松前藩の経済基盤はアイヌとの交易にあった。安土桃山時代から江戸時代にかけて松前氏は征夷大将軍より交易独占権を認められ、アイヌとの交易条件を自らに有利なものに変えていった。アイヌはシャクシャインの戦いやクナシリ・メナシの戦いといった反乱を起こしたが、松前藩によって鎮圧された。1784年(天明4年)からは蝦夷地の開拓を始め、沿岸にいくつかの入植地が建設された。

江戸時代後期から、シベリアからロシアが領土を広げつつ日本と通商を求めるようになり、鎖国を維持しようとする日本と北海道近辺で接触した。中にはゴローニンや高田屋嘉兵衛のように相手国の捕虜になった人もいた(ゴローニン事件)。ロシアの脅威に対する北方防備の必要を認識した江戸幕府は、最上徳内、近藤重蔵、間宮林蔵、伊能忠敬といった者に蝦夷地を(樺太・千島列島を含め)探検させ、地理的な知識を獲得した。また、1799年(寛政11年)に東蝦夷地を、1807年(文化4年)には西蝦夷地を松前氏から取り上げた。また、統治機構として1802年(享和2年)に蝦夷奉行を置き、後に函館奉行、松前奉行と名を変える。幕府の統治はアイヌの負担を若干軽減したが、基本的な支配構造には手を付けなかった。ゴローニン事件解決以降、ロシアの領土拡大的な南下が停滞したため、奉行は1821年(文政4年)に廃され、全蝦夷地は松前藩に還付された。

近代

1888年建設の道庁旧本庁舎(札幌市)

1868年(明治元) に、新政府は蝦夷地に箱館裁判所を置くことを決め、直ぐにその名を箱館府と改めた。但し、戊辰戦争のひとつ函館戦争(一時、「蝦夷共和国」成立)が起こり、すぐには蝦夷地は新政府の下に統一されなかった。榎本武揚総裁の五稜郭の降伏後、蝦夷地は1869年(明治2年)に北海道と改称され、11国が置かれた。同年7月館藩(松前藩)領以外を管轄する開拓使が設けられてから北海道の開拓は本格化した(屯田兵)。1870年(明治3年)、根室国の花咲郡、根室郡、野付郡が東京府に編入されたが、同年末に廃止。明治4年(1871年)7月14日 廃藩置県に伴い館藩の旧領(爾志郡・檜山郡・津軽郡・福島郡)に館県設置。同年9月 館県は道外の弘前県などと合併、弘前県(青森県)の一部となり消滅。明治5年(1872年)10月 福島郡など四郡(旧館県)が青森県から開拓使に移管。これにより北海道全域が開拓史の所管となる。開拓使は1882年(明治15年)に廃止され、代わりに函館県、札幌県、根室県の3県が設けられたが、その行政効率の悪さから1886年(明治19年)には再び統一行政機関として北海道庁が置かれた。明治政府の政策により多くの人が移住し、道内各地に開拓の波が押し寄せた。もっとも、和人の「開拓」はアイヌにとっては土地収奪と強制移住を伴うものであり、「日本による侵略」であったとする見方もある(本多勝一など)。また、鉄道や国道が建設されたが、網走刑務所に代表されるように、懲役刑の一環として行われた面もある。石炭が産出されることから、数多くの炭鉱が開発され、輸送するための鉄道が縦横に張り巡らされた。

  • 北海道11国86郡(1869年設置)
読み
渡島国
亀田郡 かめた
茅部郡 かやべ
上磯郡 かみいそ
福島郡 ふくしま
津軽郡 つがる
檜山郡 ひやま
爾志郡 にし
後志国
久遠郡 くとう
奥尻郡 おくしり
太櫓郡 ふとろ
瀬棚郡 せたな
島牧郡 しままき
寿都郡 すつつ
歌棄郡 うたすつ
磯谷郡 いそや
岩内郡 いわない
古宇郡 ふるう
積丹郡 しやこたん
美国郡 びくに
古平郡 ふるひら
余市郡 よいち
忍路郡 おしよろ
高島郡 たかしま
小樽郡 おたる
読み
胆振国
山越郡 やまくし
虻田郡 あふた
有珠郡 うす
室蘭郡 むろらん
幌別郡 よりへつ
白老郡 しらおい
勇払郡 ゆうふつ
千歳郡 ちとせ
石狩国
石狩郡 いしかり
札幌郡 さっぽろ
夕張郡 ゆうばり
樺戸郡 かばと
空知郡 そらち
雨竜郡 うりゆう
上川郡 かみかは
厚田郡 あつた
浜益郡 はまましけ
天塩国
増毛郡 ましけ
留萌郡 るもい
苫前郡 とままえ
天塩郡 てしほ
中川郡 なかかわ
上川郡 かみかは
読み
北見国
宗谷郡 そうや
利尻郡 りしり
礼文郡 れふんしり
枝幸郡 えさし
紋別郡 もんべつ
常呂郡 ところ
網走郡 あばしり
斜里郡 しゃり
日高国
沙流郡 さる
新冠郡 にいかふ
静内郡 しつない
三石郡 みついし
浦河郡 うらかは
様似郡 さまに
幌泉郡 ほろいつみ
十勝国
広尾郡 ひろお
当縁郡 とうふち
上川郡 かみかは
中川郡 なかかわ
河東郡 かとう
河西郡 かさい
十勝郡 とかち
読み
釧路国
白糠郡 しらぬか
足寄郡 あしよろ
釧路郡 くしろ
阿寒郡 あかん
網尻郡 あはしり
川上郡 かわかみ
厚岸郡 あつけし
根室国
花咲郡 はなさき
根室郡 ねむろ
野付郡 のつけ
標津郡 しへつ
目梨郡 めなし
千島国
国後郡 くなしり
択捉郡 えとろふ
振別郡 ふれへつ
紗那郡 しやな
蘂取郡 しへとろ
※得撫郡 うるっぷ
※新知郡 しむしる
※占守郡 しゅむしゅ

※得撫郡、新知郡、占守郡の3郡は、1875年、樺太・千島交換条約により得撫島以北の千島列島を編入したため千島国に加わった。

  • 注:よみがなは『新北海道史』による。

現代

1950年(昭和25年)、北海道を開発するため、調査・立案及び実施に関する事務を担当する北海道開発庁が総理府の外局として設置された。北海道内には北海道開発局と各地方に開発建設部が置かれ、開発の任に当った。第二次世界大戦の復員兵や、旧植民地からの帰還者の受け入れ先として北海道が注目され、人口が急増した。戦後復興と高度経済成長期の初めは、北海道産の石炭が重宝され、多くの炭鉱労働者が北海道で暮らしたが、1960年代に石油へのエネルギー転換が起こり、1980年代までにほとんどの炭鉱が閉山された。これに伴い、不要になった鉄道が相次いで廃止され、市民生活の自動車化が推し進められた。道路網の整備が行われ、道央自動車道を初めとする高速道路が建設された。他の都府県は直轄国道(旧1級国道)以外の整備補修を自ら行うのに対し、北海道は全ての国道を国が管理した。

2001年(平成13年)の中央省庁再編により、北海道開発庁は統合され、国土交通省北海道局となった。それに伴い、北海道開発局は国土交通省の地方支分部局となった。


参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
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