|
茨城県古河市の情報 茨城県古河市の概要
万葉歌碑
「麻久良我の 許我の渡りの韓楫の 音高しもな寝なへ 児ゆゑに」 「古河」は、古く「許我」と表記され、万葉集に当時の情景が二首詠まれている。古くから渡良瀬や思川沿い中心にひらけていた地域である。作者不明の万葉の歌碑が渡良瀬川の堤防上にある。
の二首である。すでに奈良時代から渡良瀬川の渡し場として賑わっていたことが伺える。 室町時代には古河公方の本拠地として、江戸時代には古河藩の城下町、日光街道の宿場町・古河宿として盛えた。古河藩は下総国であったため、現在でも旧常陸国が大半を占める茨城県の中では歴史的・文化的に特異な部分が多い。 江戸時代の曲亭馬琴(滝沢馬琴)作の読本南総里見八犬伝の芳流閣とは、古河城といわれている。遺構として、城門(古河市の文化財)古河城文庫蔵、乾蔵が移築現存しており、国の登録有形文化財に登録されているが、城跡は渡良瀬川の改修でほとんどない。 明治期に入ると製糸産業が発達し人口が急増、一時期は県内で二番目の人口となっていた時期もあった。昭和33年に東北本線が電化され、上野まで約一時間で結ばれるようになってからは、東京のベッドタウンとして発展し、合併前には人口密度で県内第1位となった。現在、人口では土浦市を抜き、ひたちなか市に次いで県内第5位。 行政上では茨城県に属しており、自動車ナンバープレートはつくばナンバー(2007年2月12日までは土浦)である。しかし、国道4号(日光街道)や宇都宮線(東北本線)の沿線であることから、経済や教育の面で栃木県、埼玉県や東京都とのつながりが強い(古河市は茨城県県西地域で唯一東京大都市圏に属している)。さらに、JRバス南筑波線の短縮後は県内の他地域と直接結ぶ公共交通機関が季節運転の高速バスを除き失われてしまったことから、水戸市や土浦市などの常磐線沿線とのつながりが薄く、栃木県もしくは埼玉県にあると誤認されることがある。栃木県や埼玉県とのつながりを示す一例として電話の単位料金区域(MA)が挙げられる。当市は坂東市の一部(旧猿島町)・猿島郡境町・五霞町・栃木県下都賀郡野木町・埼玉県北埼玉郡北川辺町とともに古河MAに属するが、古河MAは茨城県内を管轄するNTT茨城支店の管轄ではなく栃木支店の管轄内である。そのため、県内他地域への通話は県間通話扱いとなる。 なお、同じ読みの都市名で、福岡県古賀市(こがし)がある。また、地元以外の人からは、古河財閥などと混同し、「古河」を「ふるかわ」と誤読されることもある。 茨城県古河市の地理 市勢
(2006年12月1日) 茨城県古河市の歴史 参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
|
||
| ▲ページのトップへ |