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岩手県宮古市の情報
エリアHOME>岩手県>宮古市 岩手県宮古市の概要
宮古市
みやこし
| 国 |
日本 |
| 地方 |
東北地方 |
| 都道府県 |
岩手県 |
| 団体コード |
03202-6 |
| 面積 |
696.82km²
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| 総人口 |
57,612人
(推計人口、2008年10月1日) |
| 人口密度 |
82.7人/km² |
| 隣接自治体 |
下閉伊郡:岩泉町、山田町、川井村 |
| 市の木 |
アカマツ |
| 市の花 |
ハマギク |
市の鳥
市の魚 |
ウミネコ
サケ |
| 宮古市役所 |
| 所在地 |
〒027-8501 |
岩手県 |
| 宮古市新川町2番1号 |
| 電話番号 |
0193-62-2111(代表) |
| 外部リンク |
岩手県宮古市ホームページ |
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■:市 / ■:町・村
SVGMAP
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特記事項:
人口は住民基本台帳に基づく |
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| ■テンプレート (■ノート ■解説) ■日本の市町村PJ |
宮古市(みやこし)は、東北地方の北部、岩手県の三陸海岸に面する都市。旧東閉伊郡。
岩手県宮古市の地理
人口
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| 宮古市と全国の年齢別人口分布図(比較) |
宮古市の年齢・男女別人口分布図 |
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■紫色は宮古市
■緑色は日本全国
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■青色は男性
■赤色は女性
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| 1980年 |
73,014人 |
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| 1985年 |
71,935人 |
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| 1990年 |
68,091人 |
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| 1995年 |
65,480人 |
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| 2000年 |
63,223人 |
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| 2005年 |
60,250人 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) |
岩手県宮古市の歴史
- 地名の由来として、寛弘年間(1004~1011)、この地方の神官が阿波の鳴門の鳴動を治めた事から、当時の天皇(一条天皇)から「都」と同訓異字の「宮古」を地名として授かった、というのが通説である(諸説あり)。
- 戦国時代以前は土岐家、閉伊家、戦国時代以降には南部家の臣下として、一戸氏分流の千徳家、津軽石家がこの地を治める。
- 宮古は、海岸の西にはすぐ山地が峙えているため平野部が狭い。また、周囲を山と海に囲まれた「陸の孤島」でもあるため、内陸からの物資の輸送が望めなかった。この地理的制約によって、飢饉が発生するたびにその被害は甚大なものとなった。
- V字型の湾の両岸が奥に進むにつれて狭くなるリアス式海岸地形の特殊性によって津波の被害も大きく、明治以後も大規模な被害の出る津波が続いた(明治三陸地震・昭和三陸地震を参照のこと)。
- 江戸時代中期には、このような「陸の孤島」であったこの地域での交通網整備に尽力する人材(牧庵鞭牛和尚など)が、盛岡などとの往路の整備を完成させ、その功績は今もって賛えられている。又、現在も一部当時の往路が使用されている。
- 江戸時代末期には、東北地方最大の一揆である三閉伊一揆が勃発した。これは、盛岡藩の失政のツケを、宮古を初めとする閉伊郡に対して、重税を課して住民から搾取しようとした事が直接の原因であり、話の流れ自体は平凡な一揆であったが、この場合問題なのは規模であった。1847年、圧制に耐えかねた一揆団は、一万数千人という他に例を見ないほどの人数で盛岡城下に押しかけ、藩側に要求を呑ませたのである(藩側は後にこの要求も破り、更なる人数での一揆へと発展する)。
- 幕末から明治にかけての戊辰戦争においては、北海道にて独立を図る榎本武揚、土方歳三らの旧幕府軍艦隊(荒井郁之助総司令官)が、宮古湾に停泊する新政府軍艦隊に対し奇襲作戦を敢行する、いわゆる「宮古港海戦」が勃発し、一つの時代の終わりを告げる歴史的な場所となる。
参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
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