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奈良県の情報

エリアHOME奈良県


奈良県の概要

奈良県
ならけん
地方 近畿地方
団体コード 29000-9
ISO 3166-2 JP-29
面積 3,691.09km²
総人口 1,402,268人
(推計人口、2009年5月1日)
人口密度 380人/km²
隣接都道府県 大阪府、京都府、三重県、和歌山県
県の木 スギ
県の花 ナラヤエザクラ
県の鳥 コマドリ
他のシンボル
知事 荒井正吾
奈良県庁
所在地 〒630-8501  奈良県
奈良市登大路町30
電話番号 0742-22-1101

奈良県の地理


奈良県の歴史


古墳時代から奈良時代まで

朱雀門(復元・平城宮跡)

紀元3世紀から4世紀頃に、この地方の豪族が力を強めて周辺地域に覇を唱えた。その後長い年月と代替わりを経て、他地域との交流・攻防や大陸との交流の末、現在の日本地域の大半を支配する大勢力となった。これがヤマト王権と呼ばれる。

ヤマト王権は、現在の天皇家の祖であるとされ、宮内庁比定の天皇陵などが集まっている。また、邪馬台国と同一視する説、北九州にあった邪馬台国の子孫が移住して新たに建国した国であるという説、神武天皇の東遷説などがある。

古代からの神道信仰の伝統、及び6世紀の仏教伝来以来の国策により、この地域には神社仏閣が多数存在する。

ヤマト王権成立以来8世紀末まで、この地域に大和朝廷の累代の天皇の宮があり、都が置かれた。大和時代から飛鳥時代にかけては、橿原市や高市郡に宮が置かれていることが多かった(飛鳥京跡)。特に藤原京は、690年(持統4)に着工され、694年に完成した日本史上最初の条坊制(じょうぼうせい)による中国風都城として知られる。その後、710年に平城京遷都が行われた。784年に長岡京に遷都されてからは、日本の首都が県内に置かれることはなくなった。

平城京から長岡京への遷都の一因ともなった影響力を持った寺社勢力は、遷都後もそれらはこの地域に残り、その後地域の耕作者を支配下において大きな勢力となった。

平安時代から室町時代まで

  • 平安時代後期は、清和源氏の源満仲の次男の源頼親(兄・源頼光/摂津源氏。弟・源頼信/河内源氏)の大和源氏の本拠地となる。
  • 中近世の大きな歴史的事件には登場しない。
    ただし温暖で肥沃な盆地を抱える地域であるため、この地域の豪族はいずれも大きな力を持った。
  • 一方で南部の険峻な山地には、その地の利を活かして反中央勢力(中でも反主流派の皇族)が居を定め、中央政府(京都の朝廷、及び幕府)とにらみ合う時代が長く続いた。南北朝時代の後醍醐天皇の吉野朝廷が有名である。吉野朝廷は地の利を生かしながら、また各地の武家勢力を糾合しながら60年にわたって抵抗し続けたが北朝に降った。しかしその後も活動を止めず、応仁の乱では山名持豊の推戴も受けた。
  • 奈良時代に建立された藤原氏氏寺の興福寺・東大寺など南都寺院が大きな勢力を誇った。このため、鎌倉・室町の武家政権は大和に定まった守護を置けなかった。平氏が東大寺焼討ちなどを行って南都を制圧しようと試みたが、うまくいかなかった。

戦国時代から江戸時代まで

  • 戦国時代には筒井・古市・越智などが北大和地域に割拠し争ったが強力な支配勢力となりえず、細川氏や畠山氏・三好氏の後援を受けた赤沢朝経や木沢長政・松永久秀といった他国勢力の支配を受けた。16世紀末に筒井党の筒井順慶が織田信長の力を背景に大和を概ね制する。続く豊臣秀吉の時代、順慶亡き後筒井氏は伊賀国に転出し、代わって郡山(現在の大和郡山市)の城に大納言豊臣秀長が拠を構え、地域の再編と産業奨励に乗り出し大和は安定した。
  • 江戸時代は奈良(奈良奉行)と五條(五條代官)を幕府が直轄支配し、郡山藩が15万石で最大石高で、高取藩、小泉藩、柳生藩、柳本藩、芝村藩、櫛羅藩、の中小藩が成立した。また、交代寄合の平野家の田原本陣屋があった。
  • このうち大和南部の広大な山域は五條代官所管轄の天領(幕府直轄地)となった。実質はあまりに広域のため十津川村の十津川郷士などをはじめ各地域(郷村)による自治を行った。また、あまり知られていないことであるが、五條代官の支配地・管轄はかなり広域で現在の和歌山県の一部も含んでいた。

明治維新以後

明治初期には、一度奈良府が設置されるも、版籍奉還や廃藩置県・府県統合により、堺県に合併されたり、堺県を含む大阪府に合併されて「大阪府の大和地域」にされるなどした。しかし、1887年には大阪府より分割され、奈良県が再設置された。かつて首都の置かれた地域は「県」ではなく「府」とされたため、奈良県でも、東京府、京都府、大阪府と並ぶ「奈良府」への改称運動が起こったが実現せず、存在感が薄かった。

しかし、1892年には湊町(現・JR難波駅)~奈良間の開業で、大阪と奈良が、1896年に、奈良鉄道が木津~奈良間を開業により京都と奈良が結ばれたことで、神社仏閣の多い奈良県が観光地として栄えていくこととなる。さらに、1914年4月、大阪電気軌道(近畿日本鉄道の前身)が、大阪の上本町駅(現・大阪上本町駅)~奈良駅間30.8km(現・近鉄奈良線)開業をさせ、より大阪と奈良の交通アクセスが良くなったことで、多くの観光客が訪れることとなる。特に1940年の紀元2600年祭には、神武天皇とゆかりの深い橿原神宮に多くの参拝者が訪れた。

近鉄学園前駅前

現在の近鉄奈良線に当たる鉄道の開業により、昭和初期の頃には奈良市の学園前周辺が高級住宅地として開発が進んだことで、大阪のベッドタウンとしての発展の礎が築かれた。戦後、高度経済成長期には近鉄奈良線沿線や近鉄大阪線沿線、近鉄南大阪線沿線では住宅地開発が進み、奈良盆地全域で急激な都市化が進行した。昭和末期から平成初期には、バブル経済により大阪都心部の地価上昇の影響を受け、県内でも地価上昇が進んだ結果、奈良盆地以外の宇陀市や大淀町、五條市でも住宅地開発が見られるようになり、県内の人口は増加していき、ドーナツ化現象の影響を大きく受けた。現在では、都心回帰に影響もあって、人口は減少に転じているが、生駒市や香芝市など大阪から近いエリアでは開発が進んでいる。そのため、県外就業率が29.98%で、埼玉県(2位)や千葉県(3位)よりも高く、日本一高く(2005年国勢調査)、昼夜間の人口差が大きい。

また1987年には、関西文化学術研究都市の発足に伴い、生駒市・奈良市では対象地域に含まれるようになる。平城・相楽ニュータウンの開発や、奈良先端科学技術大学院大学の設置や平城宮跡の復元など学術研究の分野でも、発展することとなった。さらに、東大寺学園や西大和学園など国内でも有数の難関私立進学校があるなど、文京地域としても知られるようになった。他に、1000世帯あたりのピアノの所有台数が日本一多い(1999年、359台)という統計などから、教養や教育に力を注いでいる家庭が多いのも奈良県の特徴である。

観光地としての面でも、1993年に法隆寺地域の仏教建造物が、1998年には古都奈良の文化財が、2004年には紀伊山地の霊場と参詣道が、ユネスコの世界文化遺産に登録され、今日では、古都と言えば京都と奈良と言われる程知名度が高く、世界的に有名な日本の観光都市として栄えている。現在、県内4カ所目の世界遺産登録に向け、明日香村が活動を行っている。

さらに、2010年には平城京に遷都されてから1300年目にあたり、平城遷都1300年記念事業を成功させるべく、2005年5月に平城遷都1300年記念事業協会が設立され、準備が進められている。


参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
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