|
沖縄県那覇市の情報 沖縄県那覇市の概要
沖縄県庁と那覇の市街地(2008年4月)
沖縄県の政治・経済・文化の中心都市であり、また、国際空港である那覇空港や、県外や周辺離島とを結ぶ那覇港を擁することから沖縄県の玄関口としての役割も担う。 面積は日本の全道府県庁所在都市の中で新宿区を除いて最も小さく、人口密度は首都圏と近畿圏を除いた地域としては全国で最も高い。また、那覇空港が市域面積の8%以上を占め、自衛隊や在日米軍の施設や那覇港の港湾施設の分も考慮に入れると、実際の都市活動に使用できる面積は限られる。さらに、那覇空港の制限表面により、市街地の多くは超高層ビルや超高層マンションを建てることが出来ない[1]。そのため、都市化に伴って周辺自治体のベッドタウン化が進み、那覇市を中心市とする那覇都市圏の人口は約75万人(都市雇用圏-2000年)となっている。なお、地方での人口減少が深刻な問題になっている今日においても那覇市及び那覇市周辺では人口増加が著しく2008年現在の都市雇用圏人口は79万人を超えている。 市の中心部は国場川(漫湖)、及び安里川に囲まれた平地地帯に広がり、那覇市、及び沖縄県の主要施設の多くがそこに立地している。近年では1987年に米軍の牧港住宅地区が全面返還されたことにより、那覇新都心として開発が進み、中心地に置かれていた企業本社などの一部が移転しており、新たな中心部となっている。 また、中心部周囲の丘陵地はほぼ全て市街化(主に住宅地)され、元々の地形の高低から立体的な都市景観を見せる。一時は琉球王国時代の首都でもあった首里地区は海抜100メートル程度の高台の上に位置し、場所によっては那覇市全域を見渡すことも可能である。 観光面では、市の中心部の国際通り、市東部の高台にある首里地区の首里城(琉球王国の王府)が中心であったが、近年、前述の在日米軍住宅地の跡地が那覇新都心として開発が進んでおり、2004年12月に世界最大規模の免税店であるDFSギャラリア・沖縄がオープンした。海に面しているが、那覇空港や那覇港などの施設が海岸線のほとんどを占めているため、海水浴場は平成3年に供用開始された波の上ビーチ(人工海浜)のみとなっている。名産品として壺屋焼や泡盛などがある。 沖縄県那覇市の地理 人口
沖縄県那覇市の歴史 那覇は国場川が海に注ぐところにある河口の港で、安里川河口の泊(とまり、現在は那覇市の一部)の港とともに、古くから沖縄の貿易港として、琉球王国の首都・首里の外港として、東アジアや東南アジア一帯の中継貿易拠点として栄えてきた。 かつて那覇は国場川・安里川の河口の湾に散在する島の一つであり浮島と呼ばれていた。尚巴志王によって整備され、小さな港であったが、尚金福王が1451年に明からの冊封使を迎えるため、中国人の懐機に命じて「長虹堤」と呼ばれる長さ1km に及ぶ堤道を建設させて沖縄本島の安里川側と繋いだ。陸路交通が整備されたことから港としての発展が始まり、那覇四町と呼ばれる市街地が形成された。 近くの久米村には中国・福建省などからの「閩(びん)人三十六姓」と呼ばれる移民が住み、これら三十六姓の末裔は、進貢使・通訳・造船など琉球の貿易と外交を支える仕事に従事してきた。 また倭寇などの襲撃からの防御のため、那覇港沖の海上にある島に城壁を築いて堤道を作り、国場川河口の那覇港の南北に防御用の砲台「三重城」(みえぐすく)「屋良座森城」(やらざもりぐすく)が完成した。同時に、那覇港の中央の島には御物城と呼ばれる貿易用倉庫が造られている。さらに那覇港の対岸にあたる南側の垣花などにも市街地や港湾が広がった。(那覇港の南岸は第二次大戦後更地になり、米軍の那覇軍港となっている。) 久米村、長虹堤、三重城など那覇の名所は中国人により「球陽八景」と謳われ、葛飾北斎の浮世絵「琉球八景」にも描かれているが、島だった那覇は土砂の堆積により琉球王国末期には本島につながっている。
近代以後も沖縄県の物資集積地、商業都市として繁栄し、海が埋め立てられ那覇は完全に地続きとなった。だが、1944年10月10日の十・十空襲と、1945年4月から始まる沖縄戦により市街地は完全に破壊された。 戦後は、旧那覇市中心部は米軍の管理下に置かれ、軍施設から1マイル以内は立ち入りが許されず、住民の多くは県北部の収容所に移されていた。生活物資不足の解消のため、1945年11月、那覇市壷屋地区の窯業関係者たちがまず帰郷を許され、103人の職人が入市。さらに12月には牧志地区の瓦職人ら136人が入市した。続いて家族や親類縁者が移り住み、これにまぎれて許可のない住民も次々と那覇に住み着いたため、壷屋から新県道(現在の国際通り)の一帯に次々と集落が生まれ、闇市も自然発生的に拡大した。 こうした中、住民の高良一が米軍と直接交渉し、米軍の物資集積所があった新県道沿いの土地(現在のてんぶす那覇あたり)に1948年1月ごろ、映画館「アーニー・パイル国際劇場」を開館させた。以後、周辺は商業地として急速に発展し、新県道は「国際通り」として「奇跡の1マイル」と呼ばれるようになる。
参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
|
||||||||||||||||||||||||||||||
| ▲ページのトップへ | ||||||||||||||||||||||||||||||