|
大阪府茨木市の情報 大阪府茨木市の概要
茨木市(いばらきし)とは大阪府の北部、北摂地域に位置する市である。特例市に指定されている。大都市である大阪市及び京都市の中間にあり、大阪府のベッドタウンとしての性格を持つ。交通も便利である。 読み方で“IBARAGI”は誤りである。 江戸時代のキリスト教禁止の時期にも密かにキリスト教を信仰していた人が隠れていた隠れキリシタンの里が市の北部山間部にある。 大阪府茨木市の地理 人口
大阪府茨木市の歴史 市名の由来はイバラの木が多く茂っていたことやイバラを切って屋根をふいたという説から「茨切」がなまって「茨木」となった説などの説がある。 市の南部にある南茨木駅の東側一帯に弥生時代の大規模環濠集落の遺跡である東奈良遺跡がある。二重の環濠の内部に多数の住居や高床式倉庫など大型建物があり、外部には広大な墓域もあった。なかでも銅鐸・銅戈・勾玉などの鋳型が出土した工房跡が発掘されており、ここの鋳型で生産された銅鐸が近畿一円から四国でも発見されている。この集落が奈良県の唐古・鍵遺跡と並ぶ日本最大級の銅鐸工場、銅製品工場であり、弥生時代の日本の数多くのクニの中でも、銅鐸を各地に配布できるような政治的に重要な位置を占めていたことが伺える。
太田茶臼山古墳
日本でも有数の古墳群地帯で継体天皇陵と治定され宮内庁管理下の太田茶臼山古墳、阿武山山頂にあり昭和9年(1934年)に玉枕を敷き錦をまとった豪族らしき(藤原鎌足という説もある)人骨が発見された阿武山古墳など古墳時代初期から末期までの各時代の古墳が現存している。平安時代には、市の北部を東西に走る西国街道(旧・山陽道)の往来が盛んとなり江戸時代には参勤交代などに利用され、大名などが宿泊した郡山宿本陣(通称「椿の本陣」)が残っている。 室町時代の前半には市の繁栄の基礎となる茨木城が楠木正成によって築かれた。茨木城主時代には城下町として賑わい(城主は中川清秀、片桐且元など)、大坂の陣後、江戸幕府天領となった後も京都と大坂、丹波と大坂間を結ぶ交通の要衝として栄えた。 安土桃山時代、山間部一帯がキリシタン大名・高山右近が治める高槻藩領だったため、江戸時代のキリスト教禁教の時期にも密かにキリスト教を信仰する人が住む「隠れキリシタンの里」が山間に点在していた。神戸市立博物館蔵の重要文化財「聖フランシスコ・ザビエル像」も大正年間になってから千提寺集落の旧家から発見された。 明治に移って明治4年(1871年)7月、廃藩置県によって大阪府の管轄となり茨木村が町制を実施。その後昭和23年(1948年)1月1日、茨木町・三島村・春日村・玉櫛村の1町3村が合併して市制を施行した。 戦後は大阪市のベッドタウンとして人口が増え続けた。1970年の日本万国博覧会に伴って、国鉄茨木駅が橋上駅舎に建て替えられ国鉄茨木駅・阪急茨木市駅の両駅前にバスターミナルや再開発ビルが建設されたほか両駅間の市街地を貫く中央通り(高橋通り)が拡幅され万博会場に向かうエキスポロードが開通するなど、急速に市街地の整備が進んだ。 現在はJR茨木駅・阪急茨木市駅の駅近くにマンションが多数建設され、通勤や買い物に便利な文教都市として住宅購入者の人気が高い。また、茨木市の山間部を切り開いた茨木サニータウンや他にも箕面市との境の山間に研究開発や国際交流の拠点を備えたニュータウン「国際文化公園都市」(愛称:彩都)が建設中である。 参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ▲ページのトップへ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||