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埼玉県熊谷市の情報 埼玉県熊谷市の概要 埼玉県北部地区を代表する都市であり、業務核都市に指定されている。江戸時代には中山道の宿場・熊谷宿が置かれ、宿場町として栄えた。現在でも市内には国道17号をはじめとする4本の国道(および各線の計6つのバイパス)、9本の主要地方道、上越新幹線をはじめとする3本(JR上越新幹線・JR高崎線・秩父鉄道秩父本線)の鉄道路線が通過しており、交通の要衝としての役割を果たしている。また人口は県内第9位であるが、農業産出額県内第2位、商品販売額県内第3位、製造品出荷額県内第4位であり、埼玉県北部における経済上の一大拠点をなしている。 2005年10月1日に熊谷市と大里郡妻沼町、同郡大里町が合併(新設合併)し、新たに「熊谷市」が設置された。また、2007年2月13日には大里郡江南町を編入し、埼玉県北部では初の20万人都市となったことにより、諸手続きを経て、2009年4月1日に特例市の指定を受けることが確定している。 2007年8月16日14時42分(JST)には日本国内の最高気温となる40.9℃を観測している(岐阜県多治見市においても同日に同気温を記録)。気候については後述。 埼玉県熊谷市の地理 埼玉県熊谷市の歴史 古代の武蔵国大里郡郡家郷(「ぐうけごう」、久下・佐谷田付近) 、楊井郷(「やぎいごう」、 御正・吉岡・大麻生付近)の地である。古代から近世にかけての熊谷市域は上記の大里郡の他、幡羅郡、埼玉郡、男衾郡に及ぶ。 平安時代、親王任国制度により桓武平氏高望王の子である村岡五郎(平良文)がこの地(武蔵国村岡)に下向、地元豪族と通じて土着し坂東平氏に代表される関東の平氏(三浦氏、千葉氏、秩父氏、鎌倉氏、大掾氏、中村氏、梶原氏、長尾氏、眞田氏、土肥氏、土屋氏、梶原氏、長江氏、大庭氏、村岡氏、俣野氏、畠山氏、河越氏、江戸氏、豊島氏、葛西氏、稲毛氏、渋谷氏など)の祖となったという説がある(ただし諸説あり)。 中世には熊谷氏を始め、久下氏や奈良氏など多くの武士団が興った。とくに源平合戦時の熊谷次郎直実が有名であり、熊谷氏の名称も地名の熊谷が由来となっている。後に地名の読みは「くまがい」ではなく、「くまがや」と改称した。 江戸時代のこの辺りの地域は忍藩領や幕府領、旗本領が複雑に入り組んでいた。また、中山道の宿場、熊谷宿が置かれた。 明治に入り、廃藩置県が行われる中で入間県と群馬県の合併により成立した熊谷県の県庁所在地となり、地域の中心都市として発展した。 明治以降の熊谷周辺の主要地主、指定の任職家は東部(佐谷田、成田)の野原家、馬場家、西部(三尻・籠原)の小林家、津久井家、南部(吉岡)の黒田家、北部(奈良、中条)の石坂家、山下家、現南河原地区の束田家、大幡地区原島の清水家等が挙げられる。以後、これらの名家からは国会議員や市長、地域の要職者、文化人、教育者が輩出されている。例えば石坂養平や黒田海之助も含まれる。
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