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埼玉県東松山市の情報

エリアHOME埼玉県東松山市


埼玉県東松山市の概要

県域としては県西部地域に属する。多くの街道が集まる交通の要衝として、古くは鎌倉時代から松山城(現在の行政区域は吉見町に存在するが松山城跡自体は当市と隣接している)の城下町として知られた比企地域の中心都市である。国際ウォーキング大会でアジア最大規模の「日本スリーデーマーチ」が開催される都市として有名。焼き鳥の街であり、2000年に室蘭市が焼き鳥店の数をNTTの電話帳で調べたところ、1位東松山市、2位室蘭市、3位今治市であった。人口は約9万人。現在、比企郡滑川町、秩父郡東秩父村との合併協議中である。仮に実現すれば、10万都市になり、飛び地ができる。

気候は太平洋式気候の影響により冬には秩父おろしが吹く。

埼玉県東松山市の地理


地形

市中央部から西部・南東部にかけて東松山台地、南部には高坂台地が広がり市街地となっているほか、北部は比企北丘陵、南西部は岩殿丘陵の東端部に当たり住宅団地が多い。また、都幾川や越辺川流域周辺は荒川低地となっており田園風景が広がっている。

  • 河川
    • 都幾川:月田橋 - 鞍掛橋 - 神戸大橋 - 稲荷橋 -都幾川橋 - 唐子橋 - 都幾川橋梁 - 東松山橋 - 新東松山橋 - 高野橋 - 早俣橋
    • 越辺川:越辺川橋 - 樋の口橋 - 高坂橋 - 島田橋
    • 市野川
    • 九十九川
    • 滑川
    • 月中川
    • 角川
    • 和田吉野川
    • 新江川
  • 湖沼: 上沼、下沼、西明寺沼、天皇沼、関根沼、長戸呂沼、大沼、薬師寺沼

隣接している自治体との関係

  • 熊谷市
当市の北側に接する市で、元々は北先端部にわずかに接しているのみだったが大里町が熊谷市と合併したことによって接する部分が増えた。国道407号と熊谷駅ゆきの路線バスで接続されているが、同じ鉄道路線沿線が生活圏になりやすい埼玉県では、北部の一部住民に行き来がある程度で当市と接していながら距離もあるため、生活圏の結びつきは弱く、#交通で示している自動車のナンバープレートの件は、当市と熊谷市との関係の薄さを明確に表しているものと言える。なお、当市と接している自治体の中では唯一、県北部地域に属する市である。
  • 坂戸市
当市の南側と接するする市で、当市とは東上線や国道407号、関越自動車道などによって接続されており、また当市と接している部分が多いことから行き来は多く、国道407号の両市境界である高坂橋は道路混雑の激しい地点となっている。比企郡の町村市外で唯一市立図書館が相互利用になるなど比企地方以外の自治体の中では最も密接な関係のある市である。特に南部の地域との交流が深く、もっぱらの日常の生活圏とする人も多いのも特徴である。
  • 川島町
当市の南東と接する町で、比企郡に属するが川越市との関係が深い町である。国道254号や川越駅ゆきの路線バスによって接続されている。また当市から川越市へ車で行く場合には通過地となる。
  • 滑川町
当市の北西と接する位置する町で、比企郡に属する。東上線や国道254号、埼玉県道47号深谷東松山線などによって接続されている武蔵丘陵森林公園を有する町である。特に南部を中心に都市化が進んでおり、当市との結びつきも強いとされる。
  • 鳩山町
当市の南西と接する町で、比企郡に所属するが坂戸市との関係が深い町である。東部の鳩山ニュータウンは高坂駅への路線バスが走っていることから当市南部地域とは結びつきも強い。
  • 吉見町
当市の東側と接する町で、比企郡に属する。鴻巣駅ゆきの路線バスや、埼玉県道27号東松山鴻巣線によって接続されており、東松山駅を利用する人が多く生活圏の結びつきが強い町である。松山城や吉見百穴は当市と吉見町の境にあり、当市と歴史上の接点も多い町である。
  • 嵐山町
当市の西側と接する町で、比企郡に属する。東上線や国道254号によって接続されている。買い物などで当市との結びつきが強いとされてきたが、最近では国道254号バイパス沿いに郊外店が進出している。
  • その他
東松山市は、人口の10%以上が東京都内へ通勤通学する東京都市圏に属している。また、埼玉県が公表している県内市町村への通勤通学状況によれば、当市から東京都内以外に5%以上が通勤通学してる市町村は川越市のみとなっている。

埼玉県東松山市の歴史


市制施行以前

現在の東松山市の中心部にあたる地域は市制施行前まで松山町と呼ばれ、元を辿れば1333年に築城されたとされる松山城の城下町として発展した街である。城下町時代は、松山城大手門に至る、鴻巣道沿いの現在の松本町から本町あたりが最も賑やかだったそうである。このあたり松山新宿と呼ばれていた一方、街道筋にあたる本町から材木町のあたりは松山本郷と呼ばれていた。また、現在の本町1丁目交差点は札の辻と呼ばれ高札場が設けられていた。

徳川家康が関東入国すると、松山城に松平家広が入城し松山藩を立藩。近代的な城郭都市に発展する可能性も潜めていたが、家広の跡を継いだ松平忠頼が浜松城に移封となると松山城は廃城となった。廃城後、この地域は最終的に川越藩の藩領となり、城に近い松山新宿は次第に廃れていったとされる。

江戸時代には、徳川幕府によって五街道と脇往還の整備が進められ、東松山市域でも、江戸から高坂を経て上州に至る川越・児玉往還(川越道)と、八王子から高坂・松山を経て日光に至る日光脇往還(日光道)が整備され、松山宿と高坂宿は宿場町として賑わった。

幕末になると、川越藩主である松平直克が、前橋藩に移封となり、比企郡・高麗郡・埼玉郡周辺のおよそ6万石の統治を行うために、1867年に松山陣屋が設置され、武家やその関係者、家族らの移住によって人口が2倍近くに増えたとされている。しかし、幕末という事もあってわずか5年足らずで廃藩置県を迎える事になった。

明治時代になると、入間県、熊谷県を経て埼玉県域となり、市域では主に「士族授産」事業として旧松山陣屋士族が中心となって東松山製糸工場など工場や銀行が起こされていった。また1923年には東上線が開通。市域には、高坂駅・武州松山駅(現:東松山駅)の2つの駅が設置されるなど交通網も整えられていった。

第二次世界大戦中には、唐子地区に陸軍松山飛行場が建設、また吉見町の吉見百穴近辺では中島飛行機(現富士重工業)の地下工場が建設され、工事関係者が多く集まるなど軍事色が濃い町ともなった。

市制施行以降
  • 1954年7月1日に比企郡松山町・大岡村・唐子村・高坂村・野本村が合併し、東松山市となる。
    市名の由来は、地域の中心である松山町から採られたものであるが、松山市の呼称は既に愛媛県松山市が先行して市制施行して使用されていた。しかしこれ以前に、福岡県遠賀郡若松町(現・福岡県北九州市若松区)が同名の福島県若松市(現・福島県会津若松市)がありながら、同一の市名である若松市を申請し認められた例があった。また、1954年3月31日に広島県府中市、同年4月1日に東京都府中市が相次いで成立し同一名の市が誕生していた。
    こうした先行事例をふまえ同名の松山市を市名として申請したが自治省はこれを認めず、愛媛県松山市に対して東の松山市という意味で東松山市とした。この後、自治省により同一の市名は認可しない旨の通知がなされ、東久留米市、東大和市(ともに東京都)など同様の命名法による市名が出来る端緒となった。このような経過もあってか、現在でも市民や周辺部の住民を中心に東松山市を指すときに「松山」と呼ぶことが多い。
    しかし、2006年1月1日、北海道伊達市と同名の福島県伊達市が成立し、現在、この同一市名に関する通知は有名無実化している。
  • 高度成長期になると東京のベッドタウンとして人口が増加。高坂ニュータウンや東松山マイタウンに代表されるような住宅団地が次々と造成された。
  • 1975年8月8日に関越自動車道 川越IC~東松山IC間が開通し、交通・物流の拠点地点化が進む。


参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
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