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埼玉県狭山市の情報

エリアHOME埼玉県狭山市


埼玉県狭山市の概要

市域を西武鉄道の二路線が通る。1960年代以降東京郊外のベッドタウンとなり人口が急増した。近年では高度成長期に移り住んできた市民の高齢化(少子高齢化[1])が進む一方で、若年者が流出し、新規転入者は減少している。都心回帰現象の影響が大きい。2005年国勢調査では鳥取県を上回る社会人口減少率を記録した。原因として考えられるのは、交通面では新宿・池袋各副都心までの電車実乗時間が通勤ラッシュ時でおよそ1時間、昼間時は40〜50分かかり、ベッドタウンとしてはやや遠めであること、および西武新宿線の地下鉄直通がないことなどがある。都心回帰現象は満員電車かつ長時間乗車の通勤地獄が原因のひとつとなっている。また市街地や住宅の都市基盤整備の遅れが近隣に比べ目立つことなどが挙げられる。その他基本整備では、隣接の所沢市から比べると球切れした街灯が多かったり、街灯未整備箇所が多く暗い市道が目立つ。

市名の由来
  • 狭山丘陵・特産物「狭山茶」に由来する。

埼玉県狭山市の地理


埼玉県狭山市の歴史


  • 古代 - 武蔵国入間郡に属する。
  • 716年(霊亀2年)- 新たに高麗郡が設置される。中世以降、入間川西岸の一部地区が高麗郡に属する。
  • 中世 - 入間川宿が鎌倉街道上道の宿場町として栄える。鎌倉街道上道は入間川宿で上野国方面と下野国方面に分岐していた。
  • 近世 - 川越藩領や天領となる。天領は旗本知行地として旗本小笠原氏の所領となっていた。
  • 近世中期 - 武蔵野の新田開発により三富新田などとともに不老川流域が開墾され、入間・堀兼の住民が増える。
沿革
  • 1894年(明治27年) - 川越鉄道が開通。入間川駅(現・狭山市駅)・入曽駅開業。
  • 1933年(昭和8年) - 武蔵野鉄道稲荷山公園駅が開業。
  • 1938年(昭和13年) - 陸軍航空士官学校(現入間基地)が開設。
  • 1945年(昭和20年) - 戦後進駐軍に接収され「ジョンソン基地」になる。
  • 1954年(昭和29年)7月1日 - 入間郡入間川町・入間村・堀兼村・奥富村・柏原村・水富村が合併し、狭山市となる。合併当時の人口は31,030人。(新市の名称の候補として「狭山市」のほか「入間川市」「入間市」「武蔵市」「武蔵野市」が挙げられ対立したが、1町5村の町村長による投票で最多得票であった「狭山市」に決定された。→参考文献:「狭山市史 現代資料編」)
  • 1958年(昭和33年) - ジョンソン基地の米軍機が市内で墜落事故を起こし、死傷者14名を出す。
  • 1963年(昭和38年) - ジョンソン基地が返還され、航空自衛隊入間基地となる。
  • 1960年代から、市内の工場・宅地開発が進み、人口が急速に増加する。
  • 1964年(昭和39年) - 新狭山駅が開業。
  • 1966年(昭和41年) - 川越狭山工業団地が完成
  • 1973年(昭和48年) - 狭山工業団地が完成
  • 1979年(昭和54年) - 西武新宿線入間川駅が狭山市駅と改称。
  • 1984年(昭和59年) - 人口が15万人を突破。
  • 1986年(昭和61年)4月1日 - 第2代市長町田佐一が死去、その後の市長選挙で第3代市長に大野松茂が選出される。
  • 2000年(平成12年)6月9日 - 財団法人日本品質保証機構(JQA)より市役所本庁舎を対象にISO14001を認証取得。
  • 2003年(平成15年)6月19日 - 第4代市長町田潤一が死去、その後の市長選挙で第5代市長に仲川幸成が選出される。
  • 2005年(平成17年)1月30日「入間市との合併に関して市民の意思を確認するための住民投票」が行われ、投票の結果、入間市との合併は中止になる。


参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
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