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島根県の情報
エリアHOME 島根県 島根県の詳細
島根県
しまねけん
| 地方 |
中国地方、山陰地方
中国・四国地方 |
| 団体コード |
032000-5 |
| ISO 3166-2 |
JP-32 |
| 面積 |
6,707.78km²
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| 総人口 |
725,907人
(推計人口、2008年7月1日) |
| 人口密度 |
108人/km² |
| 隣接都道府県 |
広島県、山口県、鳥取県 |
| 県の木 |
クロマツ |
| 県の花 |
ボタン |
| 県の鳥 |
ハクチョウ |
| 他のシンボル |
県の魚:トビウオ
県民歌:薄紫の山脈 |
| 知事 |
溝口善兵衛 |
| 島根県庁 |
| 所在地 |
〒690-8501 |
島根県 |
| 松江市殿町1番 |
| 電話番号 |
0852-22-5111 |
島根県の市区町村
島根県の歴史
- 古代
- 県東部の出雲地方は、古代日本において最も発達した地域の一つであった。特に弥生時代においては、大量の青銅器が出土した荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡や、大型の四隅突出型墳丘墓(安来市古代出雲王陵の丘、出雲市西谷墳墓群)があり早期に鉄器を有するなど、特徴的でかつ先進的な文化が山陰一帯に存在し、その中心的勢力が島根東部から鳥取県西部にかけて存在した。古墳時代には雲南市加茂町の神原神社古墳から卑弥呼の鏡と言われる景初三年 (239) 銘のある三角縁神獣鏡が出土している。奈良時代に記された古事記・日本書紀・風土記に、出雲を舞台としたスサノオや大国主の神話が語られるなど、朝廷においてもその存在は大きなものであった。また神話にその創建が語られている出雲大社は、代々出雲国造家がその祭祀を司り現在に至っている。
- 隠岐は古来より流刑の地とされ、鎌倉期の後鳥羽上皇・後醍醐天皇をはじめ多くの貴人が流されたが、これにより京文化が伝播して隠岐独自の文化が生まれ、また明治維新期の隠岐騒動にも結びついたと言われる。
- 中世
- 室町期は京極氏や山名氏がこの地の守護大名となった。戦国時代に入ると、守護代であった尼子経久が京極氏を追放し、安来市の月山富田城を拠点として中国地方一帯に覇を唱え、たたら製鉄の経営を行った。またこの時期に開発された大森銀山は、大内氏と尼子氏による熾烈な争奪戦が繰り広げられたが、最終的に毛利氏によって支配され、江戸幕府成立後に幕府直轄領となることになる。
- 近世
- 出雲地方
- 江戸時代には堀尾吉晴が出雲・隠岐24万石で入封し、松江城を築いた。松江藩はその後京極氏を経て、徳川家康嫡男の流れを汲む結城松平氏の松平直政が入国し、幕末に至った。なお、松江藩には広瀬藩と母里藩(ともに1666年創設)という支藩があり、一時的に松江新田藩(1701年から1704年)という支藩も置かれていた。松江藩ではたたら製鉄の隆盛で、安来などの港が北前船で繁栄した。
- 石見地方
- 石見には浜田藩と津和野藩が置かれ、浜田藩は古田重治から松井松平氏、本多氏を経て越智松平氏が、津和野藩は坂崎直盛の後に亀井氏がそれぞれ支配した。
- 石見東部の地域及び石見西部の一部地域は石見銀山領として幕末まで幕府直轄領であったが、一時的に松江藩預かりとなっていた時期もある。なお、会津騒動で改易された加藤家は加藤嘉明の勲功により家名存続を許され、石見銀山領のうち1万石を与えられて寛永20年(1643年)6月に吉永藩1万石の立藩を許されたが、この藩は天和2年(1682年)6月に水口藩に加増移封されて消滅した。
- 隠岐地方
- 隠岐は松江藩領であったが、一時的に石見銀山の代官の支配下に置かれて幕府直轄領とされていた時期もある。
- 隠岐では幕末に島民らが松江藩の代官を追放して自治を行っていた時期がある(隠岐騒動)。
- 近代~現代
- たたら製鉄が衰退し、木炭産業に移行するとともに、鉄山師の一部は雲伯鉄鋼合資会社の設立などにより和式製鉄法の近代化を行い現在に至っている。一部、古来のたたら製鉄が再現され少量操業も行っている。
- 平成19年(西暦2007年)大田市の石見銀山が世界遺産に登録された。
参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
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