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栃木県芳賀郡益子町の情報

エリアHOME栃木県芳賀郡益子町


栃木県芳賀郡益子町の概要

益子はこの項目へ転送されています。同町特産の焼き物については益子焼をご覧ください。
益子町
ましこまち
日本
地方 関東地方
都道府県 栃木県 
芳賀郡
団体コード 09342-4
面積 89.54km²
総人口 24,813人
(推計人口、2008年12月1日)
人口密度 277人/km²
隣接自治体 真岡市、市貝町、茂木町、
茨城県桜川市
町の木 アカマツ
町の花 ヤマユリ
町の鳥 ウグイス
益子町役場
所在地 〒321-4293 栃木県
芳賀郡益子町益子2030
電話番号 0285-72-2111
外部リンク 益子町

■:市 / ■:町

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特記事項:
人口密度 278.7人/km²
■テンプレート(■ノート・■解説・■ウィキプロジェクト)

益子町(ましこまち)は、栃木県南東部に位置する芳賀郡の町。益子焼の産地として知られる。町の花はヤマユリ、町の木はアカマツ、町の鳥はウグイス。それぞれ1977年に制定された。

栃木県芳賀郡益子町の地理


栃木県芳賀郡益子町の歴史


益子の古刹西明寺の伝承は、西明寺は737年(天平九年)行基の創建になり、紀有麻呂が建立したとする。10世紀には、宇都宮氏の郎党益子氏が勢力を張った。益子氏は紀氏を称し、西明寺城を本拠とした。平安末期から室町初期にかけて、建立された寺社が益子町にはよく残っている。源頼朝が奥州藤原氏討伐の兵を起こすと、益子正重は宇都宮氏の郎党として戦功を上げ、もう一人の宇都宮氏の郎党とともに、頼朝から源氏の旗である白旗一流を下賜された。鎌倉から南北朝にかけて、益子氏は宇都宮氏の郎党としてよく活躍した。益子には西明寺城を始め、七井城など、益子氏の城・砦が築かれた。南北朝の動乱のとき宇都宮氏が北朝につくと、南朝方の将軍春日顕時は常陸国を本拠として、1339年益子を攻めた。これは後に撃退されたが、1351年再び益子は戦場となり、西明寺の伽藍が焼失した。1394年益子勝直は西明寺の堂宇を再建した。ついで1492年には楼門、1538年(天文七年)には仏塔が益子家宗により再建された。しかし戦国期には益子氏は宇都宮氏と対立することが多くなった。家宗が家督を継いだ後は、隣接する領主と益子氏との争いが増し、1583年益子重綱(一伝によれば家宗弟)は宇都宮氏に背き、結果、1589年に宇都宮氏によって益子氏と西明寺城が滅びることとなった。

江戸期には那須黒羽藩大関氏に飛び領として加領され、幕末に到った。「下之庄」といわれ、陣屋が置かれた。1871年7月廃藩置県の後は、黒羽県から11月に宇都宮県に統合され、1873年に宇都宮県が栃木県に統合されるとともに、栃木県に帰属した。また1895年には益子町が設置され、のちには七井村、田野村が置かれた。

1911年(明治43年)軽便鉄道法が交付されると、鉄道院は幾つかの新規軽便線着工計画のなかに下館・七井を結ぶ真岡線を含めた。翌年には工事が開始され、1912年4月1日に下館・真岡間が部分開業した。ついで1913年7月11日には真岡・七井間も開業し、計画された全線が開通した。後に、烏山町(現那須烏山市)と茂木町の二つから、七井からそれぞれの町への延伸が請願され、誘致合戦は政党の政治の具となった。茂木町を地盤とする政友会議員が衆議院に当選したため、最終的に七井から茂木への延伸が行われた。

1954年(昭和29年)6月1日には、益子町と七井村、田野村が合併し、益子町となった。

いわゆる「平成の大合併」で益子町も芳賀地区合併協議会に参加し近隣自治体との合併を協議していた。しかし2004年6月、住民から反対の強かった茂木町が離脱を表明、これを機に合併協議自体が不調となり、8月初頭には協議会廃止の合意を見た。8月24日町議会は合併協議会の廃止を議決し、知事への届け出を経て、同月31日、合併協議会は廃止された。


参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/

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