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富山県高岡市の情報 富山県高岡市の概要 富山県の北西部に位置する、富山県西部(高岡都市圏)の中心地。面積は富山市、南砺市、黒部市、立山町、上市町、氷見市、朝日町に次ぎ、富山県第8位。人口は富山市に次ぎ、富山県第2位。現在の市街地は、かつて高岡城の城下町として盛え、北部の伏木地区は越中国の国府だった。1889年4月1日に市制施行、日本初の市の1つとなった。 市名の由来は、加賀藩主の前田利長が付けた「高岡」という地名。現在の高岡地域は、「関野ヶ原」と呼ばれていたが、高岡城が小高い丘(岡)に立地していたことや、詩篇『詩経』の中の「鳳凰鳴矣于彼高岡(鳳凰鳴けり彼の高き岡に)」という言葉から、街が開かれた時に前田利長が「高岡」と命名した。これが今も市名に使われている。 産業都市として発展し、今日ではアルミサッシの生産額日本一で知られる。富山地域と共に新産業都市の指定地域にもなっていた。また、伝統工芸も盛んで、高岡銅器や高岡漆器などの伝統工芸品が有名である。 商業面ではかつて北陸の商都と呼ばれていたが、郊外のショッピングセンターや金沢市への買い物客の流出が激しく、中心市街地はゴーストタウンと化している。 富山県高岡市の地理 地形 隣接する氷見市との境から市の南西部(福岡地区)にかけて、150m~300mぐらいの山々が連なり、特に氷見市近くの二上山を中心とする二上山丘陵には高い山が集まっている。 また、庄川と小矢部川が流れ、支流が市内を縫っている。小さな河川も含めると、10数本の河川が市内を流れている。 日本の渚百選にも選ばれる雨晴海岸が市の北部にある。海水浴場がひしめき、夏場は海水浴で賑わう。また、海岸の沖に高岡市唯一の島である男岩がある。近くには女岩という岩もあり、こちらは立山連峰と重なる風景で有名。 市の中心部および北部~東部は射水平野の一部で、一方で砺波平野の一部である西部~南部では一部で散居村の風景もみられる。
庄川
地久子川
気候気候は日本海側気候に含まれる。富山県の全域が豪雪地帯であることもある、冬は雪が多い。年によっては豪雪になることもあり、平成18年豪雪でも、最深積雪59cmを記録した。 2005年の気象記録では、平均気温は13.8℃、平均湿度は74%、年間総降水量は約2,698.0mm、日照時間は1,544.7時間だった[1]。 人口
富山県高岡市の歴史 古代、現在の高岡の郊外は、越中国の国府であり、そのため、746年に国司として大伴家持が赴任し、在任した五年間にとても多くの秀歌を残した。これは、高岡市が“万葉の里”と呼ばれる由来であり、現在も行われている高岡万葉まつりのメインイベントである万葉集全20巻朗唱の会にも受け継がれている。近世になると、1609年に加賀藩主の前田利長が高岡城に入り、“高岡”の町が開かれる。この1609年の開町により、近世高岡の文化が始まることとなる。開町の当時は、5,000人にも満たない人々で町が構成され、城の周囲や南の台地に、武家屋敷が配置されていた。だが、1615年の一国一城令により、高岡城は無くなってしまった。当時、「城の無い城下町は衰退していく」と言われていたが、前田利常の「高岡の人々の転出を規制し、商業都市への転換を図る」という政策が功を奏したため、高岡は発展の道を辿り始め、高岡の“商工業の町”としての歴史が始まっていく。高岡銅器や高岡漆器などもこの頃から始まった。近代では、1889年4月1日に青森県の弘前市などの全国30都市と共に市制が施行され、日本初の市の1つとして、“高岡市”が誕生する。この頃から伏木港(現・伏木富山港)での交易が盛んになってくる。現代では2005年11月1日に隣接する福岡町と共に旧高岡市と旧福岡町を廃止し旧市と旧町をもって新設合併し、新しく“高岡市”が発足し、県西部における中核的な市としての役割が果たせるかどうかが課題である。
大伴家持像
前田利長像
ウイング・ウイング高岡
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