|
|
 |
山形県酒田市の情報
エリアHOME>山形県>酒田市 山形県酒田市の概要
酒田市
さかたし
| 国 |
日本 |
| 地方 |
東北地方 |
| 都道府県 |
山形県 庄内総合支庁 |
| 団体コード |
06204-9 |
| 面積 |
602.79km²
|
| 総人口 |
113,817人
(推計人口、2008年10月1日) |
| 人口密度 |
189人/km² |
| 隣接自治体 |
鶴岡市
遊佐町、庄内町、三川町、
真室川町、鮭川村、戸沢村、
由利本荘市、にかほ市(飛島) |
| 市の木 |
ケヤキ |
| 市の花 |
トビシマカンゾウ |
| 他のシンボル |
イヌワシ |
| 酒田市役所 |
| 所在地 |
〒998-8540 |
山形県 |
| 酒田市本町二丁目2番45号 |
| 電話番号 |
0234-22-5111 |
| 外部リンク |
酒田市の公式ページ |
|
■:市 / ■:町・村
SVGMAP
|
|
ウオッちず Google Map Live Search geohack
mapfan yahoo navitime ゼンリン ちず丸
|
|
| ■テンプレート (■ノート ■解説) ■日本の市町村PJ |
酒田市(さかたし)は、山形県の北西にある人口約11万5千人の市。県内人口第3位。 山形県唯一の重要港湾酒田港がある。県内二番目の規模である酒田都市圏の中心自治体。
山形県酒田市の地理
山形県酒田市の歴史
- この地には平安時代朝廷が出羽国の国府として築いたと考えられる城輪柵跡があるように、地域の歴史は古い。酒田の街は袖の浦(現酒田市宮野浦)に移り住んだ奥州藤原氏の家臣36人が、1521年頃最上川の対岸に移り、砂浜を開拓し作ったと言われる。袖の浦は中世には貿易の中継地だった。
- 1672年、河村瑞賢が西回り航路を整備すると、酒田はますます栄えるようになり、その繁栄ぶりは「西の堺、東の酒田」ともいわれ、太平洋側の石巻と並び、奥州屈指の港町として発展した。日本永代蔵に登場する廻船問屋の鐙屋(あぶみや)や、戦後の農地改革まで日本一の地主だった本間家などの豪商が活躍し、町は三十六人衆という自治組織により運営されていた。1689年(明治-178年)6月13日 に松尾芭蕉が奥の細道で訪れている。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、飽海郡酒田町が発足。
- 1894年(明治27年)10月22日 - 庄内地震発生。市街地の8割が地震後に発生した火災により焼失。
- 1929年(昭和4年)4月1日 - 飽海郡鵜渡川原村を編入。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 市制施行。
- 1945年(昭和20年)8月10日 - 酒田港周辺が米海軍艦載機の空襲を受け、死者・行方不明30人を出す。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 飽海郡飛島村を編入。
- 1954年(昭和29年)12月1日 - 隣接する10村(飽海郡西荒瀬村、東平田村、北平田村、中平田村、上田村、本楯村、南遊佐村、東田川郡新堀村、広野村、西田川郡袖浦村)を編入合併したことにより、市域が大幅に拡大した。
- 1976年(昭和51年)10月29日 - この日の夕方に発生した火災は翌未明まで続き、同市中心部を含む22.5haを焼失。被災者3,300人(死者は、殉職した消防長1人)、焼失建物1,774棟、負傷者964人という大災害となった。この火災は後に「酒田大火」と呼ばれ、同市を始め山形県の防災意識を高める契機となった。なお、酒田市は復興に全精力を注ぎ、2年半後、復興を果たしている。
- 2005年(平成17年)11月1日 - 飽海郡八幡町・松山町・平田町と新設合併し、新「酒田市」が発足。旧・酒田市は面積175.84km²、人口98,599人(2005年(平成17年)5月31日現在)であった。
参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
|