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山形県新庄市の情報

エリアHOME山形県新庄市


山形県新庄市の概要

江戸時代は新庄藩が置かれ、戸沢氏6万石の城下町であった。一方で羽州街道の宿場町でもあり、市南部の本合海集落は最上川水運の主要積出港であった。磐根街道が開削される明治時代初頭までは、庄内町清川まで道路がなかったため、本合海河港からの舟運が唯一の交通手段であった。

雪深い地域に属し、雪害救済運動発祥の地でもある。そのため、「独立行政法人防災科学技術研究所雪氷防災研究センター新庄支所」が置かれ、雪氷防災実験棟で雪崩の発生メカニズムの解明などが行われており、「雪の里情報館」という雪についての学習施設がある。

また、山形新幹線の終着駅である新庄駅があり、最上地方の中心都市としての役割を担う。近年では、最上地方の自治体として自然と人間の共生を主題に最上エコポリス構想が推進されている。

このほか岩手県遠野市と並ぶ東北地方随一の民話の宝庫としても知られ、多くの民話の語り部による民話の伝承、記録が盛んに行われており、毎年「みちのく民話まつり」が開催される。

近年では、早稲田大学や玉川大学のバイオマス研究施設、山形大学の自然に関する教育研究活動や講座を行う「エリアキャンパスもがみ」が開設されるなど、研究施設の進出も行われている。

山形県新庄市の地理


山形県新庄市の歴史


新庄の歴史は、15世紀に新庄盆地の真ん中に土豪により沼田城が築かれた事に始まる(新庄の名もこれに由来している)。しかし、湿地帯の中にあったため中世には城として不適であり、最上地方は大蔵村にあった「清水城」、真室川町にあった「鮭延城」、最上川の要衝であった本合海集落にあった「八向楯」等山城により経営されていた。戦国時代には最上義光によりその領地に編入された。

新庄市が最上地方の中心として発達を始めるのは、新庄藩が作られ羽州街道沿いにあった沼田城周辺が城下町として開発されてからである。元和八年(1622年)戸沢氏が常州松岡(現在の茨城県高萩市)から転封。同九年に鮭延城に入るが狭小のため、翌寛永元年(1625年)三月に新庄に城を築く。この時より、250余年に渡る戸沢氏の藩政が始まる。江戸時代を通じて、戸沢氏は領国経営に熱心であり、多くの飢饉を乗り越えて石高4万石を実石6万石にまで増やすことに成功した(民謡『新庄囃子』には「昔ゃ戸沢の8万石よ」の文句がある)。宝暦六年(1756年)、前年の大凶作に喘いだ新庄藩は、五代藩主正諶(まさのぶ)が領民に活気と希望を持たせると共に、豊作祈願をするため氏神である天満宮の祭典を行った。これが今日まで続く新庄祭の始まりである。

戊辰戦争においては奥羽越列藩同盟を離れ新政府軍についた。明治四年廃藩置県により新庄県が設置、同九月に山形県に合併。明治時代に奥羽本線が開通し、大正時代に陸羽西線、陸羽東線が開通すると、「鉄道の町」として隆盛を極め、物資の集積地、養蚕の町、大日本帝国陸軍軍馬も生産する馬産地、豊富な森林資源を活用した木材加工業・家具工業の町としても知られるようになった。昭和時代初頭には、近代農業の実験場として、新庄市北部の広大な原野を開墾し、当時の最先端の農業技術で農耕を行う国家事業、「昭和開拓」が行われた。

太平洋戦争中には、神町海軍飛行場の補助飛行場として、新庄市西郊に升形飛行場(600m×30m)、竹形飛行場(800m×60m)と2つの大日本帝国海軍飛行場が存在した。市内の木材加工場では、弾薬箱の製造が行われた。アメリカ軍の空襲が1回あり、6名の犠牲者を出している。

戦後は、昭和30年代に周辺の町村を合併し、昭和40年代初頭には、人口49,000人に達した。しかし、戦後の産業構造の激変により、馬産、養蚕・製糸、木材加工といった産業が軒並み崩壊し、農業生産も厳しい状況が続いている。鉄道も、施設の合理化や自動化が進み、人員削減が進んだ。そうした中で、新庄市の人口は漸減を続けているのが現状である。その一方、工場の誘致も行われており、市内には、山形航空電子(日本航空電子工業の子会社)、富士通ゼネラル(富士通のプラズマディスプレイ・液晶プロジェクタ・温水ヒーター部門の主力工場。かつては富士通ゼネラルブランドでテレビ受像機製造も行っていた)等が進出している。

行政区域変遷(市制施行後)
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 最上郡新庄町が市制施行し、新庄市となる。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 最上郡萩野村を編入。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 最上郡八向村を編入。


参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
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