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山梨県富士吉田市の情報

エリアHOME山梨県富士吉田市


山梨県富士吉田市の概要

富士吉田市
ふじよしだし
日本
地方 中部地方、甲信越地方
関東地方
都道府県 山梨県 
団体コード 19202-3
面積 121.83km²
※境界未定部分あり
総人口 51,582人
(推計人口、2008年10月1日)
人口密度 423人/km²
隣接自治体 都留市、西桂町、富士河口湖町
忍野村、鳴沢村、山中湖村
小山町
市の木 しらかば
市の花 ふじざくら
市の鳥 アカゲラ
富士吉田市役所
所在地 〒403-8601 山梨県
富士吉田市下吉田1842番地
電話番号 0555-22-1111
外部リンク 富士吉田市

■:市 / ■:町・村 SVGMAP

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■テンプレート (■ノート ■解説) ■日本の市町村PJ

富士吉田市(ふじよしだし)は、山梨県の東南部にある市。富士五湖地方の中心都市に当たる。

山梨県富士吉田市の地理


隣接している自治体
  • 山梨県
    • 都留市
    • 南都留郡西桂町、忍野村、山中湖村、鳴沢村、富士河口湖町
  • 静岡県
    • 駿東郡小山町
富士吉田市役所(2005年8月)

山梨県富士吉田市の歴史


市域は富士火山活動の影響を受ける地域であり、火山灰や溶岩流などの堆積物に覆われ考古遺跡は未解明の部分が多い。縄文時代の遺跡は古屋敷遺跡、池之元遺跡をはじめ火山活動の静穏期であった富士黒土層に多い。寒冷な気候に加え農耕に不向きな火山性土壌であることから弥生時代から古墳時代にかけての遺跡は少なく、古代には再び火山活動が活発になるが、定住していた集落跡が見られる。

中世には鎌倉新仏教の影響も受けて富士信仰が興隆し、日蓮をはじめ西念寺を創建した遊行上人他阿真教など鎌倉街道を通じて多くの宗教者が往来した。『勝山記』には戦国時代の吉田の様子が記されている。国中の甲斐守護家武田氏や郡内領主の小山田氏が支配を及ぼし、甲駿の国境であるため係争地にもなる。集落は上吉田と下吉田に分離し、東西を川に画され掘などの防御施設を持つ自治的集落で、吉田山城が築かれた。上吉田には富士参詣の門前集落として御師が集住し、参道の両側には計画的な短冊方地割の御師町が形成された。

武田氏や小山田氏の滅亡後、郡内地方の領主は徳川氏の家臣である鳥居氏や豊臣系大名である加藤氏や浅野氏などが領し、市域では豊臣系大名時代の発給文書が残されている。寛永10年(1633年)には秋元氏が谷村藩主となり、3代70年あまりにわたって治める。秋元氏は谷村においても治水などの普請事業や郡内織の奨励などを行っているが、市域でも秋元氏時代の史料が見られる。宝永元年(1704年)には秋元氏の転封により甲斐一国は代官支配の天領となり、郡内地方は谷村陣屋の支配下となる。

近世には現在の古吉田にあった上吉田は西方に移転し、新たな町割が行われて上吉田と下吉田は一体化する。江戸時代に流行した富士信仰や鎌倉往還や富士道の途上にあたる物流の拠点として、街道沿いの計画都市が形成される。

市域には水利に乏しい溶岩台地が広がっていたが、河口湖の水を導き新田開発を目的とした新倉掘抜が秋元氏時代に着工し、曲折を経てに元治2年(1865年)に完成する。近世には水掛麦など農業生産力を向上させる工夫が行われる一方で、副業として大工職を行い、郡内織は農閑期の主要産業として発展した。また、富士北麓は薬草の産地としても知られており、市域にも薬園が設置されて山野利用されている。文化面では、村々で若者仲間など共同体組織を基盤に道祖神祭礼などの年中行事が行われ、御師家は江戸や京都から文人が往来する文化的拠点となった。

近世後期には全国的に商品流通経済の展開とともに農村荒廃や飢饉の発生、身分制の動揺が起こっているが、農業生産力が低く織物産業に依存する郡内地方においてもしばしば飢饉が発生し、天保の大飢饉においては市域でも多くの餓死者や没落する百姓を出し、無宿人の増加や博打の横行を招く。谷村代官所では取締や村役人との間に郡中惣代を置くなど対応策を講じるが、天保7年(1836年)には甲斐一国の大規模な打ちこわしとなった郡内騒動となって暴発する。市域の村では参加者が出ておらず、鎮圧後には谷村代官として江川英龍(太郎左衛門)が旧弊改革を行い、市域でも英龍の改革を好意的に受け止めている。

幕末には御師のなかで浪士組や新徴組に参加して幕府側に加わる有志がいる一方で、明治元年(1868年)には上吉田の御師団有志29名が討幕運動に加わり、官軍として公認され蒼龍隊を結成する。東征大総督有栖川宮の護衛に参加し、同年5月の上野戦争でも戦っている。

近代には富士北麓が開発され、交通機関も整備される。織物産業も基幹産業として持続し、戦後には溶岩台地の宅地化が進み郡内地方の中核都市と位置付けられている。


参照:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/
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